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水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、大阪府三島郡島本町にある神社で後鳥羽天皇(ごとばてんのう1180−1239年)・土御門天皇(つちみかどてんのう1196−1231年)・順徳天皇(じゅんとくてんのう1197−1242年)を祀っている。水無瀬神宮は、後鳥羽天皇の離宮水無瀬殿の跡に建立されたもので承久の乱(じょうきゅうのらん・1221年)に敗れ隠岐に流され、失意の中で隠岐で崩御した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、1240年に藤原信成(1197−1262年)・藤原親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し上皇を祀ったとされる。後鳥羽上皇の最期は寂しいものだったが離宮水無瀬殿滞在時には見わたせば山もとかすむみなせ川    ゆうべは秋となにおもひけむ(後鳥羽院 新古今和歌集)水無瀬の離宮から見渡せば、山麓は春霞で水無瀬川の夕暮は何とも言えない風景だ。と優雅な和歌を残している。谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう1886−1965年)も後鳥羽院の和歌を好んで水無瀬神宮を参拝し、名作「蘆刈」を創作している。境内には、大阪府下で唯一「名水百選」に選ばれた「離宮の水」がありたくさんの人たちが並んで水を汲んでいた。谷崎潤一郎にちなんで「蘆刈りの水」と呼ばれている。神門は、桃山時代(1592−1596年)の薬医門造で石川五右衛門(いしかわ ごえもん:生年不詳−1594年)が祀られた名刀を盗みに入ろうとした時に残した手形と称するものがある。水無瀬神宮の神宝である大刀を盗もうとしたが神威に打たれ、一歩も門内に入れずに手形だけ残して立ち去ったと伝わっている。神威とは隠岐で無念の最期だった後鳥羽上皇の怨念だったのかもしれないと思った。(写真は水無瀬神宮)

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