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泰雲山・宗光寺(そうこうじ、広島県三原市本町)は毛利元就の三男隆景(たかかげ、1533~1597)が養子先の小早川家拠点であった新高山城(にいたかやまじょう、広島県三原市本郷町)に在城した天正5年(1577)、父元就の七回忌と母妙玖尼の三十三回忌の法会を催すため城内に創建した雲門山匡真寺(きょうしんじ・臨済宗)が前身で、隆景が瀬戸内海支配権を確立すべく臨海地の三原に新城を定めるのに伴い現在地に移転、後に慶長5年(1600)福島正則(ふくしま・まさのり、1561~1624)が広島入城した後漕洞宗に改め寺号を宗光寺と改称した経緯があります。三原観光協会HPで紹介されている宗光寺の説明では下記の通りです。「宗光寺泰雲山宗光寺は天正5年(1577)小早川隆景が親の毛利元就夫婦を弔うため高山城内に建てたものですが、(雲門山匡真寺)三原城築城の際、城下の西側を守る砦も兼ね、この地に移されました。石門を入り土壁に囲まれた広い石段を登ると、桃山風の重厚荘、豪快な構えの山門があります。この山門は小早川家代々の居城であった新高山城の城門をここに移したものと伝えられ、四足門の切妻造り、本瓦葺きの桃山時代の建築で、昭和28年(1953)に国の重要文化財に指定されています。福島正之の墓、浅野忠長(城主2代)の墓などがある。」

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