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「小諸なる古城の畔雲白く遊子悲しむ」。島崎藤村の千曲川旅情に出てくる最初の出だしだが、残念ながら当方はここまでしか知らない。中学生の頃、この「遊子」とは何を意味し、誰を指し、又、どうして悲しむのか、等々、国語の先生の授業を受けた記憶もおぼろにはあるが、それ以上のことは覚えていない。今その藤村ゆかりの小諸城を散策している。堂々とした城壁と深い木立。長い歴史を感じさせる古城の雰囲気だ。黒門橋を渡り、本丸に向かう。石垣は苔むし、深い内堀は空堀になっていて、谷のようだ。藤村のような詩情、芭蕉のような句作がないのを悔やむ。橋を渡った正面が本丸だ。坂を登り本丸に出る。とそこには天守閣の代わりに由緒あり気な神社が鎮座している。由来を見るに、ここにあった三層の天守閣は江戸の寛永年中に落雷により焼失し、爾来天守閣は再建されなかったが、明治の初め頃、当城保存会により、現在の場所に懐古神社が建立されたとのことである。祭神は菅原道真。天神様だ。教育県、長野らしい祭神だと、3人で顔を見合わせた。陪神に竈の神様、荒神様が祀られているが、それはこの天守閣が雷の火災で焼失したことに由来しているのか・・。その他、この本丸跡には、勝海舟の明治14年の揮毫による石碑も経っていて、ここが「懐古園」と呼ばれるに至った詳しい事情が解説されていた。同行の吉垣さんは日頃から探求心がおお勢で、素人では判読し難いその難解な文字を丹念に追っていた。流石に努力家である。勝海舟が明治になってこの地にやって来たのは、元小諸藩士の佐々木如水と交流があり、この地に招かれたようだが、当方にはその佐々木某なる幕末の書家は初めて聞く名前であり、寡聞にして知らなかった。

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