Images of イ・ムジチ合奏団
長年の念願だったザルツブルク音楽祭でクリスティアン・ティーレマン/ウィーンフィルのブルックナー交響曲第5番と、サイモン・ラットル/エル・システマ・ジュニアオーケストラのマーラー交響曲第1番他を聴くことができた。前者は祝祭大劇場、後者はフェルゼンライトシューレで、両会場の音響を比較することもできた。
ザルツブルクと言えばモーツァルト(1756-1791)の誕生の地、1842年にすでにモーツァルト音楽祭が開催され、1887年にハンス・リヒターが参加してザルツブルク音楽祭が開始されている。そしてR・シュトラウス、ワルター、トスカニーニ、フルトヴェングラー、クナッパーツブッシュなどの巨匠が次々に参加する、世界最高レヴェルの音楽祭となる。戦後の混乱期を経て1956年、カラヤンが音楽祭芸術監督に就任、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルを指揮、更に祝祭大劇場の建築を主導し1960年に完成、カラヤン指揮の「ばらの騎士」でこけら落しが行われた。
小生は世界各地の主要コンサートホールでオーケストラを聴く機会を得てきたが、このフェスティバルは敷居が高かった。また、1989年カラヤンの死後、積極的にこの地を訪れる意欲が減退した、とも言える。しかし最近活躍の目覚しいティーレマンがウィーンフィルを指揮し、ブルックナー交響曲第5番を演奏する日に何とか日程調整ができそうだ。しかも翌日はラットルがエル・システマ子供達のオーケストラを指揮し、マーラー交響曲第1番を演奏する。しかもチケットはインターネットで予約でき安心して出かけることができる。これも敷居を下げてくれた大きな理由だ。
さて、ティーレマンのブルックナーは初めて聴くが、日本でもミュンヘン、ドレスデンのシェフとして必ずブルックナーの大作を取り上げており、特に5番は難物なだけにウィーンフィルとの演奏は楽しみだ。最近の活躍ぶりは強烈な個性という点で、生粋の独墺出身としてライヴァルの、ウィーン国立歌劇場シェフのウェルザー・メストを一歩リードしている感がある。しかし彼のブルックナー第5番は正直言ってあまり期待はしていない。以前映像でベートーヴェンの演奏を見ていたが、刈り上げ君のような少々子供染みた仕草が印象に残っていた。この曲はヴァント、カラヤン、朝比奈隆の晩年の録音を愛聴しており、これを超える演奏は彼の年齢(54歳)では到底あり得ないからだ。
ところが予想を裏切って?期待以上にいい演奏だった。連日のステージで疲れの見えるウィーンフィルも、キュッヘル、ホーネックの2人のコンマスを並べ本気の熱い演奏を聴かせてくれた。ホルンの美しい響きは常に変わりなく、オッテンザマーのクラリネットやオーボエの独特の音色は紛れもなくウィーンフィルにしかありえない。少々贅肉の付いた分厚い演奏であったが、ブルックナーの本質は外していない。彼の今後に大いに期待したい。
一方のラットルとエル・システマである。今年のザルツブルクはヴェネズエラの音楽青少年に占領された感がある。少々長くなるが、エル・システマの理念について以下に引用しておく。
「1975年ホセ・アントニオ・アブレウ氏の提唱により生まれた、南米ベネズエラで現在約35万人以上の青少年が参加する音楽教育システムである。
政府支援のもと、子どもたちに無償で楽器と音楽指導を提供。子どもたちは、高い演奏技術だけではなく、集団での音楽体験を通じて優れた社会性(忍耐力・協調性・自己表現力)を身につけられるとして、その効果は世界中で注目されている。犯罪や非行への抑止力としても役割を果たし1990年以降は貧困と青少年の犯罪が深刻な問題であるベネズエラで、健全な市民を育成する社会政策の一環として推進されるようになり、障害者が参加するプログラムや、刑務所内における更生プログラムとしての実施も行われている。」
この日聴いたのは青少年オーケストラではなく、子供達のジュニアオーケストラ、ベルリンフィルのシェフとして音楽界の頂点に立つラットルが指揮を取るとあってフェルゼンライトシューレは異様な雰囲気に包まれていた。しかし何と言っても子供である。友達や保護者とはしゃいでおり、会場のいたるところでスペイン語の歓声が聞こえた。プログラムの前半は若いヴェネズエラの指揮者が登場、後半のマーラー1番にラットルは登場した。彼は子供達を相手に、時々緊張が緩みそうになるところでも一切の妥協を許さず振り切った。少々のミスはあったとしても、十分に感動的な立派な演奏で、演奏後の総立ちのスタンディングオベーションも極めて自然な反応だったと思う。
エル・システマがこれほど全世界で評価され、展開されていることに日本人として羨望を禁じ得ない。貧困と犯罪に喘ぐヴェネズエラの青少年達のオーケストラあるから、これほど全世界的にマスコミがこぞって称賛しているが、はたして日本の高い演奏能力を身につけた子供達もこのような機会を与えられた時、ラットルの高い要求にどこまでついていけるのか、すでにハングリー精神を失ってしまっているのか気になるところだ。
書きたいことが多すぎてキリがないのでこれ位にしておくが、ザルツブルク音楽祭を次に訪れる機会はいつ来るのだろうか。