Images of ティミショアラ北駅
「ティミショアラ正教大聖堂(三成聖者大聖堂)」は「ティミショアラ」にある「1937年〜1940年」にかけて「三成聖者(4世紀頃の初代教会時代にキリスト教神学の形成に枢要な役割を果たした聖人)」の「大ワシリイ(ヴァシリオス)」「神学者グリゴリイ(グリゴリオス)」「金口イオアン(イオアンニス)」に捧げられ建てられた「ルーマニア正教会の大聖堂」です。
写真は「ティミショアラ正教大聖堂(三成聖者大聖堂)」の「イコノスタシス(聖所と至聖所を区切るイコンで覆われた壁)」です。
ルーマニアの地方都市ティミショアラへ出張で行ってきました。出張なので観光はあまりできませんでしたが、会議のバンケットが地元のワイナリーで開催されたりと、食べ物は楽しんできました。
食べ物を中心とした旅の記録です。
96年6月、ルーマニアの首都ブカレストから新ユーゴスラビアの首都ベオグラードまで夜行列車で移動していた時の話だ。
列車がユーゴスラビアとの国境の町ティミショアラに到着したのが午前4時40分頃、私はホームのざわめきで目が覚めた。ティミショアラから突然多くのルーマニア人たちが列車に乗り込んできたのだ。一等車と言えども例外ではない。私の座っていた一等車の6人個室は私と友人だけで占有していたが、20歳くらいの娘二人、そして高校生くらいの青年を連れた母親が乗り込んできた。彼らは皆かばんを背負い、両手に30kgの米袋位の大きな荷物を両手に抱えていた。荷物は個室に入りきる筈もなく、荷棚や室内に置ききれない荷物は通路に山のように積まれた。彼らばかりが荷物が特別に多いわけではない。通路にはティミショアラから乗車した乗客の荷物が溢れかえっているほどだ。彼らが経済制裁の最中のユーゴに闇行商に行くのだろうが、それにしてもこれだけの荷物をどうやってルーマニアの・ユーゴの税関の目を潜るつもりなのだろうか? 例え持ち込んだとしても関税が相当かかるのではないだろうか?
ティミショアラを出発して間もなく、ルーマニア側の国境駅に到着し、ルーマニア側のパスポートコントローラーと税関が現れた。私のパスポートコントロールと税関審査は簡素に終えられ、いよいよ彼らの審査の番となった。一体彼らの荷物を税関はどのように判断するのだろうかと注目していたが、税関たちはに彼らの荷物に全く目もくれない。本来経済制裁を課せられているユーゴへの物品の持込は制限されて然るべきだが、彼らは税関やパスポートコントローラーに既に根回しをしているせいなのか、パスポートすら殆どまともに見られることはなかった。
ルーマニア側のコントロールを終えると車内は急に慌ただしくなり始めた。同室の二人の若い女性は荷物からトレーナーとジャージを取り出したかと思うと、服の上から重ね着し、隣室にいたリーダー格の大きな男性が大声を上げ、彼女達だけでなく、他のコンパートメントに座っていたルーマニア人達も荷物を通路に出し始めた。一体何が始まるのか?
通路を眺めていると車掌が現れ、彼らの仲間の男性に通路の天井裏の鍵を渡し、男性は素早く開けた。そしてジャージに着替えた女性の二人と他男性二人が天井裏へと上がった。彼らの軽快な身のこなしは、まるで忍者そのもの、見ている私が下を巻いてしまうほどだ。
天井裏へ上がっている間、他の仲間は通路に出された大量の荷物を天井裏の真下にかき集めた。そして天井裏4人組の準備が整うと、屈強な男性たちがバケツリレーをしながら、天井裏の仲間へと荷物をどんどん上げて行く。これほど組織的に、且つ素早く必死で働いているルーマニア人を今まで見た事がない! 天井は余りの荷物の重さにミシミシと音を立て、今にも抜け落ちそうなほど、天井はひん曲がっていた。ユーゴの国境まで時間が切迫しているので、リーダーは「時間がないぞ!急げ!!」とでも言ったのだろうか、怒鳴り声を上げると益々彼らの動きが早くなった。
ユーゴの国境駅に到着するまで、全ての荷物を天井裏に隠し終えると、天井に入っていた4人が断熱材と埃にまみれで飛び降りてきた。なるほど、これだけ汚れるからジャージやトレーナーを重ね着したのか、この用意周到さにも感心するばかりだ。彼らが降りて埃を通路でふり払うと、別の仲間がホウキと塵取りを持ってきてサッとゴミを処理し、天井裏に鍵がかけられた。そうこうしている間に彼らの仲間の女性たちが一人ひとりにペプシと石鹸を配り始めた。受け取った者から何事もなかったかのように各室に戻って座った。それにしてもペプシと石鹸で一体何が行われるのか?彼らの意図がわからぬままユーゴの国境駅に到着した。
国境駅に到着間もなくしてパスポートコントローラーと税関が来た。私のコントロールはルーマニア側同様に荷物もチェックされることなく、簡単に手続きを終えたが、かれらは一体どうやって税関に対応するのだろうかと、固唾を呑んで見守っていた。
税関は彼らに「君達の持ち物は?」と尋ねると、一斉に手に持ったペプシを前に出し、「ペプシ!」と一言。私は彼らの行為に唖然としてしまったが、税関もペプシを見ながら「OK!」と言ってあっさりと個室から出て行った。何という審査だ。この車両に乗車したルーマニア人の大半の持ち物がペプシと石鹸だけだなんて怪しすぎるにも程がある。明らかに税関もリベートを受け取るなどし、彼らとグルなのだろう。その証拠に税関たちは天井裏の扉を開け、懐中電灯で照らしチェックをしていたが、指を差しながらニヤニヤ話をしていた。税関たちはここに荷物が不当に隠されていることも十分判っていたのだろう。
こうして彼らは無事にユーゴに入国を終えた。列車が国境駅を出発すると、再び天井裏に上り、荷物を降ろし、元の場所に戻されていく。この光景をじっと眺めていた私に仲間のうちの15歳くらいの青年がこう言った。
「君は僕達の商売を見てどう思う? こんな商売は皆好きだと思うかい? 僕たちがこんなことを好きだ何て思わないでね。僕はこんな闇商売は嫌いだし、皆だって同じ気持ちなんだ。でも生きる為なんだ。」
私はその言葉を聞いて彼らに何も言うことができなかった。私の心の中に青年の言葉がズシリと重くのしかかった・・・。