Images of ハンガリー・アンジュー朝
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1988年9月8日、ブダペストからウィーンへ、ドナウ川の水中翼船(HYDROFOIL)に乗る。
船の切符を買うのも、当日の朝に船着場で、税関、出国審査も、船着場でやった。
ブダペストを出発したのが午前7時過ぎ。
これから、優雅なドナウ川の船旅になるはず。
ドナウ川をウィーンへ、上流へ向かうので、右岸が(この時期はまだ)チェコスロバキアで、左岸がハンガリーになる。
ただ、なにしろ水中翼船なので、船に跳ね上げた水が窓にかかって、ほとんど外が見えない(涙)。
つまり、観光船としては、完全にダメダメちゃんだった(でもこの話は1988年のことで、今はもっといい船になっているかもしれません)。
僕はこのほかにも、水中翼船に乗ったことがあるが、どれもあんまり乗り心地がよくなかった。
例えば、アルゼンチンのブエノスアイレスから、ウルグアイのコローニアへラプラタ川を越えたとき。
このときは、景色も楽しめなかったばかりか、船の揺れがひどすぎて、吐きそうになったからね。
しかも、どちらの水中翼船でも、窓も小さくて、景色も楽しめず、揺れがひどくて、暇つぶしの本も読めなかった。
午前10時15分ごろに、右岸のチェコスロバキアの「コバロ市」を過ぎると、僕のノートに書いてある。
おそらく船内で、観光案内の放送があったんじゃないかな。
「右に見えますのが、コバロ市です」とか「もうすぐブラチスラバでーす」とかね。
もう昔のことなので覚えてはいないんだが。
でもそうでなければ、ガイドブックにも乗ってない、地図にもない「コバロ市」なんて、ノートに書くはずもないはず。
グーグルマップで時間を考えて調べたら、どうやら「コマールノ」という町らしい。
こんなに名前が違っていたら、「こまーるの」ですが(ここは一応ギャグになってます)。
お昼の12時10分に、この時代はまだチェコスロバキアの都市だった「ブラチスラバ(BRATISLAVA)」へ。
なお、ブラチスラバは1993年1月1日にチェコとスロバキアが分離独立して以来、スロバキアの首都となっている。
ボートはそのままドナウ川を進み、午後12時半に、オーストリアの町「ハインブルク」を見て、両岸がオーストリアになる。
ウィーン到着は、午後1時15分(13時15分)。
ブダペストからウィーンの距離が282キロメートルと、ノートに書いてある。
おそらく、これも、船内放送で教えられたのだと思うよ。
午前7時過ぎにブダペストを出て、午後1時15分にウィーンに到着したのだから、約6時間かかった。
料金はこの時、48ドルだったから、ちょっと高かったし、それだけの価値はないように思ったね。
ただ何度でも言うが、海外個人旅行というのは、失敗した話のほうが、面白いんだよ。
だって誰だってわかると思うが、他人が上手に旅をした話なんて、聞きたくないからね(笑)。
ウィーンでは、ただの川べりにある船着場に上陸するが、周囲には国際航路の船着場という雰囲気はまったくない。
両替所もないので、船を降りても、オーストリアシリングが入手できない。
近くの地下鉄の駅まで歩き、地下鉄に乗る。
オーストリアシリングがないので、切符は買えないのだが、そこは、高度な海外旅行テクニックを使う。
町の中心のオペラ下にある観光案内所へ行った。
紹介してもらったのが、「ホテルヨーゼフシュタット(HOTEL JOSEFSTADT)」。
ホテルの場所は、ウィーン中心の地下鉄駅からすぐで、ブッフフェルトガッセ16番地(BUCHFELDGASSE 16)。
料金は340オーストリアシリング。
この時期、1オーストリアシリングが10円と考える。
だから、一泊シングルで3400円というところか。
ただこのホテルは、もともとは学生寮らしい。
それを、ある時期だけホテルとして使っているのだとか。
でも僕は、余計な設備のない、学習机のある、そのホテルの雰囲気が、とても気に入った。
僕の部屋は、5階の屋根裏部屋だが、それも趣があるね。
夜は鉄道時刻を調べに出て、ウィーン西駅の近くの中華料理屋にした。
とてもおいしかったが、ワインも含めて、チップも払って、250オーストリアシリング(2500円)は、ちょっと使いすぎたかな。
旅を続けて疲れたとき、中華料理は身体にいいとはっきりわかる。
まず、「hot and sour soup」からはじめて、肉と野菜炒め、エビ料理、焼き飯、にプラス、ワインをボトルで取る。
体のことを考えるときは、野菜だけを一皿別に取る。
ただ、一人だと量が多すぎるので、誰かと一緒に食べて、料理を分け合うのがベストだけどね。
まあ、考えたら、この日は一日一食だから、自分に贅沢を許してあげましょう。
ウィーンでは、いろいろすることがあるんだ。
まず、ポーランドのビザを取るつもり。
それから、すでにビザを取ってあるチェコスロバキアと、ポーランドなどへの旅行ルートを考えなければ。
1988年のこの時代、オーストリアの首都ウィーンは、東ヨーロッパへの窓口だった。
東側陣営と西側陣営が、ウィーンで情報合戦をしていたようだ。
ウィーンの名物といえば、だから、東西陣営のスパイが多いことだったかな。
そう考えると、駅を行き交う人も、どことなく怪しく見える。
その中でも、駅の鏡に映ったアーミージャケットの東洋人中年男性、こいつが一番怪しい。
ま、僕のことなんだが(笑)。
駅で「The Samurai Strategy」という日本の経済侵略小説を購入する。
僕が旅をしていた1988年は、日本の経済力が世界の脅威と受け取られていた時代だったんだね。
居心地のいいホテルに戻り、ベッドに入って、ペーパーバックを読みながら寝ました。
明日はちょっとバタバタ動かなければならないが、明日もここに泊まると決めたので、気は楽だ。