Images of ビルマの戦い
Lot 11614-18: Second Sino-Japanese War, July 1937-September 1945. Burma Campaign, January 1942-July 1945. Well-equipped Chinese troops advancing in single file through typical Burmese jungle country, March 1942. Office of War Information Photograph. Burma Campaign, Troops, Soldiers, American Revolution, War Machine, Military History, Vintage Photographs, World War Two, Battlefield
ビルマ戦記・ビルマの土153・歩兵153連隊・太平洋戦争・ビルマ進攻作戦・ビルマの戦い・ビルマ戦史・陸軍大尉・狼三戦史発行事務局の商品情報 平均落札価格 330 円 最高落札価格 330 円 最低落札価格 330 円 平均落札価格 2,740 円 最高落札価格 14,500 円 最低落札価格 160 円
japanese army - jungle fighting - Pin it by GUSTAVO BUESO-JACQUIER Imperial Japanese Navy, Imperial Army, Burma Campaign, Independence War, Military Diorama, World War One, Real Photos, 2 Photos, Military History
The Campaign in Mandalay February - March 1945: Japanese dead lie on the ground after an unsuccessful counter attack at Meiktila. IND 4592 Gordon Highlanders, Burma Campaign, National Archives, Mandalay, Military History, Cdr, World War Two, Cambodia, Laos
11月7日、いわゆる文化三角地帯(Cultural Triangle)のダンブッラ、シーギリヤに続いてポロンナルワを訪れた。いずれも古代から続いた仏教王朝が造り上げてきた世界有数の大遺跡である。
ポロンナルワはスリランカ中部の古都。11−13世紀、スリランカの首都であった。1017年、シンハラ王朝は首都をポロンナルワに遷都、交易と農業により大いに栄えた。特に灌漑設備の充実に努め、国の東部地域で乾季でも農耕可能にした。彼は農耕と防衛の両方の目的で、首都の周囲にパラークラマ・サムドゥラと呼ばれる巨大な灌漑用貯水池を建設した。この時代、首都は自給自足の体制を保った。
しかし、その後南インドの王侯貴族が勢力を増したため、シンハラ王朝の力は衰え、1232年に首都をダンバデニヤに遷都、1255年ポロンナルワは放棄され廃墟となった。
ポロンナルワの遺跡は南北5kmに渡って広がっており、すべてを見て回るには1日では不十分であるが、それでも駆け足で主要な5ヶ所を巡って、写真に収めた。写真は順に、バラークラマ・バーフ1世の宮殿跡、7階建ての仏塔であるプラサーダ、高さ55mもある巨大なダーガバ(仏陀の右鎖骨を祀るモニュメント)、ガル・ヴィハーラの3石像(座像、立像、涅槃像)である。タクシーをハイヤーしないととても短時間に見て回ることは不可能である。貴重な仏教遺跡がジャングルの中に忽然と姿を現す様は、世界にも類を見ない。
伝承によると、釈迦は3回スリランカを訪れたと言う。釈迦の生誕には諸説があり、前463年 - 前383年、前560年 - 前480年、前624年 - 前544年など、約2500年前の話である。別名をゴータマ・シッダールタと言い、私は何とドイツの作家、ヘルマン・ヘッセの小説により彼の生涯を知るようになったのである。ヘッセの描いたインドの青年シッダールタ(釈迦と同名だが別人)は、生の真理をもとめて修行し、世俗の中に生き、極めて人間的、多感な青年で、家族愛、性愛、友情、裏切りなどを経験し、人生の最後に悟りを開くまでの過程を描いている。
釈迦の入滅後、仏教はインドで大いに栄えたが、大乗仏教の教義がヒンドゥー教に取り込まれるとともにその勢力を失っていく。ヒンドゥー教は仏教を弾圧の対象とし、釈迦に新たな解釈を与えた。釈迦は、ヴィシュヌのアヴァターラ(化身)として地上に現れたとされた。偉大なるヴェーダ聖典を悪人から遠ざけるために、敢えて偽の宗教である仏教を広め、人々を混乱させるために出現したとされ、攻撃の対象になった。結果、仏教はインドを逃れ、周囲の国、タイ、ビルマ、チベットはじめ、スリランカで信仰されるようになったのである。