Images of ヘロデ大王
ガリラヤ湖ほとりにて・・ (〃`・н・´〃)【イエス・キリスト】が 捕えられ、 ”ユダヤ教祭司”達に訴えられ、当時の 【ローマ帝国 ユダヤ属州総督 ポンテオ・ピラト】の前に連れて来られたのは、およそAD30年頃と推測されています。当時の【ローマ帝国皇帝】は 【ティベリウス】という、帝政に入って、2代目(初代「皇帝アウグスト」)であり、初代の皇帝が”帝政”の機構を整えていたので、いたってのんびり構えた 2代目皇帝でした。 【ティベリウス】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9 【ティベリウス】は”引きこもり皇帝”とも呼ばれる、陰謀渦巻く政治界から、保全の為(多くの皇帝が暗殺された)”カプリ島”に隠居し、スパイを差し向けては情報を把握して、裏で政治を牛耳った皇帝で、ほとんどの 政治は【元老院】に丸投げ 状態でした。 (そのせいか、彼は在位が長く長命な皇帝でした。) 当時【ローマ帝国】政治界で力を振るっていたのは【セイヤヌス】という人で、”ユダヤ総督”【ポンテオ・ピラト】は懇意で、職を得ていました。★【セイヤヌス】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%8C%E3%82%B9 (ポンテオ・ピラト) 【ピラト】という人は、貴族というような身分の人ではなく、かなり平民で下っぱな方だった様子です。しかし、政界の”ドン”と結託するなど ”野心家”であり、【元老院議員】を狙っていたと言います。 (^^)ここで、”ユダヤ総督”である【ポンテオ・ピラト】の一日を見てみよう。【ピラト】は通常はイスラエルの海辺の大都市 【カイザリヤ】に滞在していたと言う。 現代でも”ローマ帝国”の”水道橋””劇場”など大規模な遺跡が残り(35年前には行きました。)当時の繁栄ぶりが解ります。 当時の”ローマ人”の一日は、”夜明け”と共に始まったと言います。彼らは午前中は”仕事”をしていたそうです。 そして”仕事”が終わると午後は、あの有名な 【テルマエ】(ローマ公衆浴場)に出かけるのが日課でした。 【ローマ帝国】はこのように、民衆の娯楽施設にも力を入れ、より良き”ライフ”を提供していた訳ですね。 【ローマ帝国】はただ横暴な征服者では無く、その後の【国】の発展に努めていて ”文化育成””生活の向上”にも力を入れていた様子が伺えますよ。 【ローマ】は積極的に特権である【ローマ市民権】を与えたり、平民の”官吏の登用”(だから【ピラト】も官吏になれた訳で~)を促進し、 退役軍人に”年金”すら支給しました。 (世界発の年金制度) これらを見ると、【聖書】が【ユダヤ人】目線で一方的に描く”悪魔の帝国”【ローマ】には、かなりな偏重がある事も理解出来ますね。 さて【ローマ】の【テルマエ】は、【テルマエ・ロマエ】と言う映画を参考にして頂きますが、何と2000年も前の【テルマエ】が、現代の 【スポーツ・クラブ】並の私設を備えていたのです。 上の写真が【ローマ時代のテルマエ】の構造です。【ローマのテルマエ】は言わば”社交場”でした。 ここで商談をしたり、仕事場の付き合いもありました。まず、”体育場”で運動をして汗を流します。(レスリング、ランニング、体操など) こうした後に、【公衆浴場】でたっぷりと汗を流し、身体をリフレッシュ、火照った身体を【フリンジダリュウム(冷却室)】でさましたり、【プール】などに行きます。 その後は、広い庭で”話に興じたり””ゲーム”などをしたり、【図書室】で読書も出来ました。 ★【ローマの公衆浴場】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%AE%E5%85%AC%E8%A1%86%E6%B5%B4%E5%A0%B4 ちょっとした【温泉センター】【スポーツジム】だったのです。素晴しいですね。 こうして午後は優雅なる【テルマエ】で過ごす【ローマ人】でした。 きっと【総督ピラト】も、大都市【カイザリヤ】の【テルマエ】を堪能し、【劇場】で観劇し、優雅なる日々を過ごした事でしょう。イスラエル【カイザリヤ】日差しが明るい南国の港街ですから、 風光明媚な”リゾート”という所です。 こう言う事を推察すると、【総督ピラト】は殆どはヤボイ【ユダヤ】ではなく、”リゾート”【カイザリヤ】で優雅なる日々を過ごしていたと・・想像出来ます。つまり【ユダヤ】にはほんの時々しか来なかった筈です。 (第の”ユダヤ人嫌い”でもありましたし。) と言う事になると、【キリスト】が処刑された【ユダヤの過ぎ越し祭り】に偶然【ユダヤ】に居たのが?ちょっと府に落ちませんね。 ★【ポンテオ・ピラト】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%88 当時の【ユダヤ統治システム】 【ローマ帝国皇帝】(ティベリウス) | 【シリヤ総督】 | 【ユダヤ総督】(ポンテオ・ピラト) | 【ヘロデ王家】 | 【ユダヤ教大祭司】(大祭司カヤパ・アンナス) 【ユダヤ教大祭司】は、政治の細々した権威はありましたが、”死刑”にする権限はありませんでした。その為、【イエス・キリスト】の刑罰にも、 【総督ピラト】に”刑の執行権”がありました。 【ヘロデ王】以前の【ハスモン朝】の時代に、 【ユダヤ教大祭司】の権力が【国王】並に強くなっていました。 【キリスト時代】には、【ヘロデ王】が【王様】として君臨していました。 (”ガリラヤ領主”は「ヘロデ・アンティパス」) 【ヘロデ王家】は初代の【ヘロデ王】に死後、”ローマ”により3分割統治にされ、 【ヘロデ・アンティパス】(ガリラヤ)、【ヘロデ・アルケラオス】(ユダヤ方面)、【ヘロデ・フィリポス】と兄弟で分けて統治しました。 これは”VTR"にあるように 【分割する事で、力や団結力を削ぐ】と言う 【ローマ帝国の方策】だった様子です。 \(◎o◎)/!現代でも応用されてるとは?・・凄い【ローマ帝国の政策】ですね。頭イイ~ね。 と言う事で、【キリスト時代】の【ヘロデ王家】は単なる”領主”程度だったと言う事です。 (【ヘロデ大王】) 【ヘロデ王家】というのは、”半ユダヤ人”の ”ローマ”が建てた【王家】ですが、”ユダヤ人”には人気薄でしたが(”イエス様”も「あのキツネに言え・・」と言うような言い方ですから(笑))、 【ヘロデ王家】は【ユダヤ】と【ローマ帝国】の良い緩衝材であり、頑固で偏屈な”ユダヤ人”を、社交性に長けて【ヘロデ王】は、うまく取り持って何とか”平和”を維持してました。【イエス・キリスト】は、【大祭司カヤパの官邸】(シオン山”聖ペテロ鶏鳴教会”内)の”地下牢”に入れられた後、夜が明けるや否や 【総督ポンテオ・ピラトの官邸】に連れて行かれました。【総督ピラトの官邸】は【エルサレム神殿】の端の【アントニヤ要塞】にあったと言われます。(別の説で、【ヘロデ宮殿内】にあった~と言う説があります。) 上の写真の【神殿】の右上の建物になります。ここは【要塞(砦)】で、”神殿や街”を守るものでした。 【総督ピラトの官邸】はここにあったと通常は考えられるようです。 【アントニア要塞】は【ヘロデ大王】により 【ローマ帝国】のあの【アントニウス】( クレオパトラの亭主、クレオパトラは”シザー”との間にも子供が居た。)に献上した砦です。 (”ヘロデ大王は、”ローマ”のご機嫌とりをしていました。 ここは【ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)】の ”第1ステーション”です。 (マタイによる福音書27章11~31節) 『さて、イエスは総督の前に立たれた。 すると、総督はイエスに、 「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねた。 イエスは彼に、「そのとおりです。」と言われた。 しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされた時は、何もお答えにならなかった。 その時、ピラトはイエスに言った。 「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしてるのに、聞こえないのですか。」 それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一事もお答えにならなかった。 それには総督も非常に驚いた。 ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人を一人赦免してやっていた。 そのころ、バラバという名の知れた囚人が捕えられていた。 それで、彼らが集まった時、ピラトが 言った。 「あなたがたは、誰を釈放して欲しいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれるイエスか。」 ピラトが、彼らがねたみからイエスを引き渡した事に気ずいたのである。 また、ピラトが裁判の席に着いた時、彼の妻が彼の元に人をやって、言わせた。 「あの正しい人にかかわり会わないで下さい。ゆうべ、私は夢で、この人のことで苦しい目に会いましたから。」 しかし、祭司長、長老たちは、バラバの方を願うよう、そして、イエスを死刑にするように、群衆を説きつけた。 しかし、総督は彼らに答えて言った。 「あなたがたは、二人のうちどちらを釈放して欲しいのか?」 彼らは言った。「バラバだ。」 ピラトは彼らに言った。 「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」 彼らはいっせに言った。 「十字架につけろ。」 だが、ピラトは言った。 「あの人がどんな悪い事をしたと言うのか。」 しかし、ますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。 そこでピラトは自分では手の下しようが無く、帰って暴動になりそうなのを見て、群衆の前で水を取りよせ、手を洗って、言った。 「この人の血について、私には責任が無い。自分たちで始末をするが良い。」 すると民衆はみな答えた。 「その人の血の責任は、私たちの子供たしの上にかかってもよい。」 そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。 それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行き、イエスの回りに全部隊を集めた。 そして、イエスの着物を脱がせ、緋色の上着を着せた。それから、いばらで冠を編み、頭に被らせ、右手に葦を持たせた。 そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかった。 「ユダヤ人の王様ばんざい。」 また、彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げて頭を叩いた。 こんな風にイエスをからかったあげく、その着物を脱がせ、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れだした。』 この【アントニヤ要塞】は、現在は学校となっていて、中に入る事は出来ません。 (以下のVTRは恐らくその学校の内部の広場だと思われます。) ★【牧師の書斎】http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%BB%E5%88%91%E3%82%92%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E3%81%A5%E3%81%91%E3%81%9F%E5%B0%8B%E5%95%8Fhttp://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%B2%BB%E3%82%81%E3%82%8B%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E7%B5%90%E8%A8%97%E3%81%97%E3%81%A6%E6%B2%B9%E6%B3%A8%E3%81%8C%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%80%85%E3%81%AB%E9%80%86%E3%82%89%E3%81%86 【イエス・キリスト】が”大祭司ら”に【総督ピラト】の前に連れて行かれたのは”明け方”で、これは”ローマ人”は日の出と共に起きて仕事をしていた事実と合致します。 【総督ピラト】は”明け方”から待っていた訳です。 どの【福音書】でも、【ピラト】は一番の質問に「あなたはユダヤ人の王ですか?」と尋ねています。 これは、それが彼が最も知りたい事だった事を現しています。 【ピラト】は”ローマ人”なので、”ユダヤ人”が言うような「預言者か?メシヤか?」などとは考えもしない訳でしょう。 彼はやはり【ユダヤ人の王】と名乗る新手の”扇動者”が現れた事に脅威を感じていたのでしょう。 恐らく”ユダヤ人”が王家の人間を担ぎあげて、 ”ローマ”に反乱を起す事を危惧して様子も解りますね。 (キリストは”ユダヤ”のヒーロー【ダビデ王】の末裔と言われていた。) ”祭司達”が訴えていたのは「皇帝に税金を納める事を禁じた。神の子と自称した。群衆を扇動した。・・」などでしょうね。 (”ユダヤ教大祭司”には”刑罰の執行権”が無かったので、権威者の【総督】の所へ連れて来た。) 【イエス様】は【総督ピラト】に「そのとおりです。」と真正面から御答えになられました。 (別の福音書では「それはあなたがた言っている事です。」と言っています。) 【イエス・キリスト】はその他の訴えにも”言い逃れ”一つせずに、沈黙しておられました。 その事に【総督ピラト】は驚いた様子でした。 これは、預言者イザヤ書にある、「彼は毛を刈る者の前の雌羊のように口を開かない」 という預言の通りです。 (ナザレのイエスの総督ピラトシーン) さて【総督ピラト】が”裁判”の席に着いたのは【ガバタ】(敷石)という所だと言われています。 この【ガバタ】は現在【宣告の教会】のあたりだと考えられます。 ” そこでピラトは、これらのことばを聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語でガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。” (ヨハネ19章13節) 以下の写真は「第1ステーション」である 【アントニヤ要塞】の現在です。 (学校なので内部を見れません。) この”第1ステーション”【アントニヤ要塞跡】の すぐ傍に【宣告の教会】があります。 (第2ステーション) (【宣告の教会】祭壇の壁画「十字架を担ぐキリスト】) (【宣告の教会の床】”キリストが”十字架の宣告”を受けた場所)ご覧のように敷石があります。 (【宣告の教会】”十字架を担ぐイエス”) ここの”修道院”には”ローマ時代”の敷石が保存されており、そこが【キリスト】が宣告を受けた場所(【ガバタ】)と言われています。 近くに 【鞭打ちの教会】 (第2ステーション)があります。 こちらは「東方教会」であり、”ミサ”中で入れて貰えませんでした。 この「宣告の教会」と「鞭打ちの教会」は同じ敷地内の近くにあります。 【キリスト】と同時に”過ぎ越しの赦免”に選ばれた囚人【バラバ】は殺人と暴動犯で、恐らく 【ゼロータイ・過激派(熱心党員)】だと考えられています。 彼の名前から”バラバ”=”バル・アッバ”(アッバの子)と推測され、彼は「アッバ」と人々に呼ばれる【祭司】の子と言われてます。 何故、「祭司の子が過激派なのか?」と言うと、当時【エルサレム神殿】では、栄華を一人占めする「上級祭司(大祭司・神殿貴族階級)」と、恵まれない「下級祭司」の対立が激化しており、【下級祭司】は積極的に【ゼロータイ(過激派)】を支援して”暴動”をけん引していました。 その当たりの事情から、”バラバ”は【過激派】のなっていたのでしょう。当然”バラバ”の祭司達からの支援が熱かったと考えられます。 ここで、群衆(恐らく一般よりも祭司達も多い)が【バラバ】を赦免しようとしたのは事実でしょう。 また”ユダヤ人”にとって理想の【メシヤ像】は ”バラバ”のように”闘うメシヤ像” だったからです。 (闘う【ダビデ王】が理想だった。) 後の【ユダヤ戦争】では、このように”祭司”が ワイロを、貰って【過激派分子】を積極的に解放した為【過激派】が大量に増え、【ユダヤ戦争】の 原因となったそうなので、この【聖書】の記事は、歴史と合致しています。 この【マタイによる福音書】では、【総督ピラト】は率先して【キリスト】の無実を訴え”救う”側になっていますが、実際に【総督ピラト】がユダヤ人の【イエス・キリスト】に肩を持つのは、ちょっと不自然な気もします。 【ピラト】は”ローマ人”であり、大体”ユダヤ”の揉め事は超うっとおしい、面倒臭い~以外の何ものでもなく、”ユダヤ人”が死のうが生きようが、あまり気にもしてなかったのでは?と思われます。 (大体毎日【テルマエ】で優雅にやっていた裕福人) 彼は合理主義者で(当時の)近代主義者で、宗教的なユダヤの揉め事には、殆ど感心もある筈がありません。(興味も無い筈) この所を”護教的”(宗教を守る為事実を曲げている)と言う意見もありますが、【ピラト】が自己防衛(群衆の反感を買いたくない)の為に、「自分は助けるつもりだったが・・」と言う筋書きで演じていた可能性も捨てきれません。 「私は釈放したかったが、群衆や祭司達が無理に ”処刑”を望んだ」と、皆を納得させたのかも知れません。【ポンテオ・ピラト】は御丁寧に「手を水で洗い、私はその人の血に関係が無い」などと言っています。 また群衆は(後のホロコーストを思わせるように?)「その人の血の責任は、われわれのわれわれの子供に・・」などと言っていますね。 (^^;)こんな事を言うだろうか?? この時集められた”群衆”は、当然”祭司”達が先導した群衆だったと想像出来ます。 (【キリスト】を信じない人々) 【イエス・キリスト】は”死刑”判決を受けると、すぐに”鞭打ちの刑”にされました。 当時の”鞭打ち”は、”鉄片”などが付けられ、「肉がそげ落ちる」酷いもので、多くが”鞭打ち” だけで死亡しました。 (鞭打ちで死んだ方がマシです。) その後も【キリスト】は、”緋色の衣を着せられ、”茨の冠”を被せられ、兵士たちに嘲笑されました。 (旧約聖書 イザヤ書53章3節『彼はさげすまれ、人々からのけものにされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほど、さげすまれ、私たちも彼を尊ば無かった。』という預言です。) これは【ユダヤの王様の王冠】を皮肉ったものだったのでしょう。 (”茨の冠”は”イスラエル”の露天で沢山売られてました。恐らく”十字架”を担いで歩く~のがありますので、その時の為かな?”キリスト”の受難を偲ぶ為。(^^;)買ってきました~。凄いトゲトゲで持って歩くのも大変です~) 【茨の冠】を被らされた理由は、”ユダヤ人の王様”と名乗る【キリスト】はこのように、 ”情けない人物”だと強調する為でしょう。 こうして”ユダヤ人”達に、「お前達が信奉した【キリスト】は”王様”などではなく、これほど”惨めな人”だと見せつけ、見世物にする為だと思われます。 (さらに【十字架】には何カ国語かで【ユダヤの王】と書いていたのだから、多くのユダヤ人(外国のコミュニテーに住む者)に、見せつけたと思われ、これは【ピラト】が”外国のユダヤ人”も恐れていた証拠ではないかな?) このように【イエス・キリスト】が、【ローマ総督】から”尋問”と”死刑判決”を受けた場所は【神殿】の傍の【アントニヤ要塞】近辺で、そこには【宣告の教会】【鞭打ちの教会】が建てられ(ヴィア・ドロローサ第1、2ステーション)、巡礼の方々が【主イエス様】の御受難を偲んで歩きます。
ガリラヤ湖ほとりにて・・ (〃`・н・´〃)【イエス・キリスト】が 捕えられ、 ”ユダヤ教祭司”達に訴えられ、当時の 【ローマ帝国 ユダヤ属州総督 ポンテオ・ピラト】の前に連れて来られたのは、およそAD30年頃と推測されています。当時の【ローマ帝国皇帝】は 【ティベリウス】という、帝政に入って、2代目(初代「皇帝アウグスト」)であり、初代の皇帝が”帝政”の機構を整えていたので、いたってのんびり構えた 2代目皇帝でした。 【ティベリウス】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9 【ティベリウス】は”引きこもり皇帝”とも呼ばれる、陰謀渦巻く政治界から、保全の為(多くの皇帝が暗殺された)”カプリ島”に隠居し、スパイを差し向けては情報を把握して、裏で政治を牛耳った皇帝で、ほとんどの 政治は【元老院】に丸投げ 状態でした。 (そのせいか、彼は在位が長く長命な皇帝でした。) 当時【ローマ帝国】政治界で力を振るっていたのは【セイヤヌス】という人で、”ユダヤ総督”【ポンテオ・ピラト】は懇意で、職を得ていました。★【セイヤヌス】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%8C%E3%82%B9 (ポンテオ・ピラト) 【ピラト】という人は、貴族というような身分の人ではなく、かなり平民で下っぱな方だった様子です。しかし、政界の”ドン”と結託するなど ”野心家”であり、【元老院議員】を狙っていたと言います。 (^^)ここで、”ユダヤ総督”である【ポンテオ・ピラト】の一日を見てみよう。【ピラト】は通常はイスラエルの海辺の大都市 【カイザリヤ】に滞在していたと言う。 現代でも”ローマ帝国”の”水道橋””劇場”など大規模な遺跡が残り(35年前には行きました。)当時の繁栄ぶりが解ります。 当時の”ローマ人”の一日は、”夜明け”と共に始まったと言います。彼らは午前中は”仕事”をしていたそうです。 そして”仕事”が終わると午後は、あの有名な 【テルマエ】(ローマ公衆浴場)に出かけるのが日課でした。 【ローマ帝国】はこのように、民衆の娯楽施設にも力を入れ、より良き”ライフ”を提供していた訳ですね。 【ローマ帝国】はただ横暴な征服者では無く、その後の【国】の発展に努めていて ”文化育成””生活の向上”にも力を入れていた様子が伺えますよ。 【ローマ】は積極的に特権である【ローマ市民権】を与えたり、平民の”官吏の登用”(だから【ピラト】も官吏になれた訳で~)を促進し、 退役軍人に”年金”すら支給しました。 (世界発の年金制度) これらを見ると、【聖書】が【ユダヤ人】目線で一方的に描く”悪魔の帝国”【ローマ】には、かなりな偏重がある事も理解出来ますね。 さて【ローマ】の【テルマエ】は、【テルマエ・ロマエ】と言う映画を参考にして頂きますが、何と2000年も前の【テルマエ】が、現代の 【スポーツ・クラブ】並の私設を備えていたのです。 上の写真が【ローマ時代のテルマエ】の構造です。【ローマのテルマエ】は言わば”社交場”でした。 ここで商談をしたり、仕事場の付き合いもありました。まず、”体育場”で運動をして汗を流します。(レスリング、ランニング、体操など) こうした後に、【公衆浴場】でたっぷりと汗を流し、身体をリフレッシュ、火照った身体を【フリンジダリュウム(冷却室)】でさましたり、【プール】などに行きます。 その後は、広い庭で”話に興じたり””ゲーム”などをしたり、【図書室】で読書も出来ました。 ★【ローマの公衆浴場】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%81%AE%E5%85%AC%E8%A1%86%E6%B5%B4%E5%A0%B4 ちょっとした【温泉センター】【スポーツジム】だったのです。素晴しいですね。 こうして午後は優雅なる【テルマエ】で過ごす【ローマ人】でした。 きっと【総督ピラト】も、大都市【カイザリヤ】の【テルマエ】を堪能し、【劇場】で観劇し、優雅なる日々を過ごした事でしょう。イスラエル【カイザリヤ】日差しが明るい南国の港街ですから、 風光明媚な”リゾート”という所です。 こう言う事を推察すると、【総督ピラト】は殆どはヤボイ【ユダヤ】ではなく、”リゾート”【カイザリヤ】で優雅なる日々を過ごしていたと・・想像出来ます。つまり【ユダヤ】にはほんの時々しか来なかった筈です。 (第の”ユダヤ人嫌い”でもありましたし。) と言う事になると、【キリスト】が処刑された【ユダヤの過ぎ越し祭り】に偶然【ユダヤ】に居たのが?ちょっと府に落ちませんね。 ★【ポンテオ・ピラト】https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%88 当時の【ユダヤ統治システム】 【ローマ帝国皇帝】(ティベリウス) | 【シリヤ総督】 | 【ユダヤ総督】(ポンテオ・ピラト) | 【ヘロデ王家】 | 【ユダヤ教大祭司】(大祭司カヤパ・アンナス) 【ユダヤ教大祭司】は、政治の細々した権威はありましたが、”死刑”にする権限はありませんでした。その為、【イエス・キリスト】の刑罰にも、 【総督ピラト】に”刑の執行権”がありました。 【ヘロデ王】以前の【ハスモン朝】の時代に、 【ユダヤ教大祭司】の権力が【国王】並に強くなっていました。 【キリスト時代】には、【ヘロデ王】が【王様】として君臨していました。 (”ガリラヤ領主”は「ヘロデ・アンティパス」) 【ヘロデ王家】は初代の【ヘロデ王】に死後、”ローマ”により3分割統治にされ、 【ヘロデ・アンティパス】(ガリラヤ)、【ヘロデ・アルケラオス】(ユダヤ方面)、【ヘロデ・フィリポス】と兄弟で分けて統治しました。 これは”VTR"にあるように 【分割する事で、力や団結力を削ぐ】と言う 【ローマ帝国の方策】だった様子です。 \(◎o◎)/!現代でも応用されてるとは?・・凄い【ローマ帝国の政策】ですね。頭イイ~ね。 と言う事で、【キリスト時代】の【ヘロデ王家】は単なる”領主”程度だったと言う事です。 (【ヘロデ大王】) 【ヘロデ王家】というのは、”半ユダヤ人”の ”ローマ”が建てた【王家】ですが、”ユダヤ人”には人気薄でしたが(”イエス様”も「あのキツネに言え・・」と言うような言い方ですから(笑))、 【ヘロデ王家】は【ユダヤ】と【ローマ帝国】の良い緩衝材であり、頑固で偏屈な”ユダヤ人”を、社交性に長けて【ヘロデ王】は、うまく取り持って何とか”平和”を維持してました。【イエス・キリスト】は、【大祭司カヤパの官邸】(シオン山”聖ペテロ鶏鳴教会”内)の”地下牢”に入れられた後、夜が明けるや否や 【総督ポンテオ・ピラトの官邸】に連れて行かれました。【総督ピラトの官邸】は【エルサレム神殿】の端の【アントニヤ要塞】にあったと言われます。(別の説で、【ヘロデ宮殿内】にあった~と言う説があります。) 上の写真の【神殿】の右上の建物になります。ここは【要塞(砦)】で、”神殿や街”を守るものでした。 【総督ピラトの官邸】はここにあったと通常は考えられるようです。 【アントニア要塞】は【ヘロデ大王】により 【ローマ帝国】のあの【アントニウス】( クレオパトラの亭主、クレオパトラは”シザー”との間にも子供が居た。)に献上した砦です。 (”ヘロデ大王は、”ローマ”のご機嫌とりをしていました。 ここは【ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)】の ”第1ステーション”です。 (マタイによる福音書27章11~31節) 『さて、イエスは総督の前に立たれた。 すると、総督はイエスに、 「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」と尋ねた。 イエスは彼に、「そのとおりです。」と言われた。 しかし、祭司長、長老たちから訴えがなされた時は、何もお答えにならなかった。 その時、ピラトはイエスに言った。 「あんなにいろいろとあなたに不利な証言をしてるのに、聞こえないのですか。」 それでも、イエスは、どんな訴えに対しても一事もお答えにならなかった。 それには総督も非常に驚いた。 ところで総督は、その祭りには、群衆のために、いつも望みの囚人を一人赦免してやっていた。 そのころ、バラバという名の知れた囚人が捕えられていた。 それで、彼らが集まった時、ピラトが 言った。 「あなたがたは、誰を釈放して欲しいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれるイエスか。」 ピラトが、彼らがねたみからイエスを引き渡した事に気ずいたのである。 また、ピラトが裁判の席に着いた時、彼の妻が彼の元に人をやって、言わせた。 「あの正しい人にかかわり会わないで下さい。ゆうべ、私は夢で、この人のことで苦しい目に会いましたから。」 しかし、祭司長、長老たちは、バラバの方を願うよう、そして、イエスを死刑にするように、群衆を説きつけた。 しかし、総督は彼らに答えて言った。 「あなたがたは、二人のうちどちらを釈放して欲しいのか?」 彼らは言った。「バラバだ。」 ピラトは彼らに言った。 「では、キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか。」 彼らはいっせに言った。 「十字架につけろ。」 だが、ピラトは言った。 「あの人がどんな悪い事をしたと言うのか。」 しかし、ますます激しく「十字架につけろ。」と叫び続けた。 そこでピラトは自分では手の下しようが無く、帰って暴動になりそうなのを見て、群衆の前で水を取りよせ、手を洗って、言った。 「この人の血について、私には責任が無い。自分たちで始末をするが良い。」 すると民衆はみな答えた。 「その人の血の責任は、私たちの子供たしの上にかかってもよい。」 そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。 それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行き、イエスの回りに全部隊を集めた。 そして、イエスの着物を脱がせ、緋色の上着を着せた。それから、いばらで冠を編み、頭に被らせ、右手に葦を持たせた。 そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかった。 「ユダヤ人の王様ばんざい。」 また、彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げて頭を叩いた。 こんな風にイエスをからかったあげく、その着物を脱がせ、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れだした。』 この【アントニヤ要塞】は、現在は学校となっていて、中に入る事は出来ません。 (以下のVTRは恐らくその学校の内部の広場だと思われます。) ★【牧師の書斎】http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%BB%E5%88%91%E3%82%92%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E3%81%A5%E3%81%91%E3%81%9F%E5%B0%8B%E5%95%8Fhttp://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%B2%BB%E3%82%81%E3%82%8B%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AF%E7%B5%90%E8%A8%97%E3%81%97%E3%81%A6%E6%B2%B9%E6%B3%A8%E3%81%8C%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%80%85%E3%81%AB%E9%80%86%E3%82%89%E3%81%86 【イエス・キリスト】が”大祭司ら”に【総督ピラト】の前に連れて行かれたのは”明け方”で、これは”ローマ人”は日の出と共に起きて仕事をしていた事実と合致します。 【総督ピラト】は”明け方”から待っていた訳です。 どの【福音書】でも、【ピラト】は一番の質問に「あなたはユダヤ人の王ですか?」と尋ねています。 これは、それが彼が最も知りたい事だった事を現しています。 【ピラト】は”ローマ人”なので、”ユダヤ人”が言うような「預言者か?メシヤか?」などとは考えもしない訳でしょう。 彼はやはり【ユダヤ人の王】と名乗る新手の”扇動者”が現れた事に脅威を感じていたのでしょう。 恐らく”ユダヤ人”が王家の人間を担ぎあげて、 ”ローマ”に反乱を起す事を危惧して様子も解りますね。 (キリストは”ユダヤ”のヒーロー【ダビデ王】の末裔と言われていた。) ”祭司達”が訴えていたのは「皇帝に税金を納める事を禁じた。神の子と自称した。群衆を扇動した。・・」などでしょうね。 (”ユダヤ教大祭司”には”刑罰の執行権”が無かったので、権威者の【総督】の所へ連れて来た。) 【イエス様】は【総督ピラト】に「そのとおりです。」と真正面から御答えになられました。 (別の福音書では「それはあなたがた言っている事です。」と言っています。) 【イエス・キリスト】はその他の訴えにも”言い逃れ”一つせずに、沈黙しておられました。 その事に【総督ピラト】は驚いた様子でした。 これは、預言者イザヤ書にある、「彼は毛を刈る者の前の雌羊のように口を開かない」 という預言の通りです。 (ナザレのイエスの総督ピラトシーン) さて【総督ピラト】が”裁判”の席に着いたのは【ガバタ】(敷石)という所だと言われています。 この【ガバタ】は現在【宣告の教会】のあたりだと考えられます。 ” そこでピラトは、これらのことばを聞いたとき、イエスを外に引き出し、敷石(ヘブル語でガバタ)と呼ばれる場所で、裁判の席に着いた。” (ヨハネ19章13節) 以下の写真は「第1ステーション」である 【アントニヤ要塞】の現在です。 (学校なので内部を見れません。) この”第1ステーション”【アントニヤ要塞跡】の すぐ傍に【宣告の教会】があります。 (第2ステーション) (【宣告の教会】祭壇の壁画「十字架を担ぐキリスト】) (【宣告の教会の床】”キリストが”十字架の宣告”を受けた場所)ご覧のように敷石があります。 (【宣告の教会】”十字架を担ぐイエス”) ここの”修道院”には”ローマ時代”の敷石が保存されており、そこが【キリスト】が宣告を受けた場所(【ガバタ】)と言われています。 近くに 【鞭打ちの教会】 (第2ステーション)があります。 こちらは「東方教会」であり、”ミサ”中で入れて貰えませんでした。 この「宣告の教会」と「鞭打ちの教会」は同じ敷地内の近くにあります。 【キリスト】と同時に”過ぎ越しの赦免”に選ばれた囚人【バラバ】は殺人と暴動犯で、恐らく 【ゼロータイ・過激派(熱心党員)】だと考えられています。 彼の名前から”バラバ”=”バル・アッバ”(アッバの子)と推測され、彼は「アッバ」と人々に呼ばれる【祭司】の子と言われてます。 何故、「祭司の子が過激派なのか?」と言うと、当時【エルサレム神殿】では、栄華を一人占めする「上級祭司(大祭司・神殿貴族階級)」と、恵まれない「下級祭司」の対立が激化しており、【下級祭司】は積極的に【ゼロータイ(過激派)】を支援して”暴動”をけん引していました。 その当たりの事情から、”バラバ”は【過激派】のなっていたのでしょう。当然”バラバ”の祭司達からの支援が熱かったと考えられます。 ここで、群衆(恐らく一般よりも祭司達も多い)が【バラバ】を赦免しようとしたのは事実でしょう。 また”ユダヤ人”にとって理想の【メシヤ像】は ”バラバ”のように”闘うメシヤ像” だったからです。 (闘う【ダビデ王】が理想だった。) 後の【ユダヤ戦争】では、このように”祭司”が ワイロを、貰って【過激派分子】を積極的に解放した為【過激派】が大量に増え、【ユダヤ戦争】の 原因となったそうなので、この【聖書】の記事は、歴史と合致しています。 この【マタイによる福音書】では、【総督ピラト】は率先して【キリスト】の無実を訴え”救う”側になっていますが、実際に【総督ピラト】がユダヤ人の【イエス・キリスト】に肩を持つのは、ちょっと不自然な気もします。 【ピラト】は”ローマ人”であり、大体”ユダヤ”の揉め事は超うっとおしい、面倒臭い~以外の何ものでもなく、”ユダヤ人”が死のうが生きようが、あまり気にもしてなかったのでは?と思われます。 (大体毎日【テルマエ】で優雅にやっていた裕福人) 彼は合理主義者で(当時の)近代主義者で、宗教的なユダヤの揉め事には、殆ど感心もある筈がありません。(興味も無い筈) この所を”護教的”(宗教を守る為事実を曲げている)と言う意見もありますが、【ピラト】が自己防衛(群衆の反感を買いたくない)の為に、「自分は助けるつもりだったが・・」と言う筋書きで演じていた可能性も捨てきれません。 「私は釈放したかったが、群衆や祭司達が無理に ”処刑”を望んだ」と、皆を納得させたのかも知れません。【ポンテオ・ピラト】は御丁寧に「手を水で洗い、私はその人の血に関係が無い」などと言っています。 また群衆は(後のホロコーストを思わせるように?)「その人の血の責任は、われわれのわれわれの子供に・・」などと言っていますね。 (^^;)こんな事を言うだろうか?? この時集められた”群衆”は、当然”祭司”達が先導した群衆だったと想像出来ます。 (【キリスト】を信じない人々) 【イエス・キリスト】は”死刑”判決を受けると、すぐに”鞭打ちの刑”にされました。 当時の”鞭打ち”は、”鉄片”などが付けられ、「肉がそげ落ちる」酷いもので、多くが”鞭打ち” だけで死亡しました。 (鞭打ちで死んだ方がマシです。) その後も【キリスト】は、”緋色の衣を着せられ、”茨の冠”を被せられ、兵士たちに嘲笑されました。 (旧約聖書 イザヤ書53章3節『彼はさげすまれ、人々からのけものにされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほど、さげすまれ、私たちも彼を尊ば無かった。』という預言です。) これは【ユダヤの王様の王冠】を皮肉ったものだったのでしょう。 (”茨の冠”は”イスラエル”の露天で沢山売られてました。恐らく”十字架”を担いで歩く~のがありますので、その時の為かな?”キリスト”の受難を偲ぶ為。(^^;)買ってきました~。凄いトゲトゲで持って歩くのも大変です~) 【茨の冠】を被らされた理由は、”ユダヤ人の王様”と名乗る【キリスト】はこのように、 ”情けない人物”だと強調する為でしょう。 こうして”ユダヤ人”達に、「お前達が信奉した【キリスト】は”王様”などではなく、これほど”惨めな人”だと見せつけ、見世物にする為だと思われます。 (さらに【十字架】には何カ国語かで【ユダヤの王】と書いていたのだから、多くのユダヤ人(外国のコミュニテーに住む者)に、見せつけたと思われ、これは【ピラト】が”外国のユダヤ人”も恐れていた証拠ではないかな?) このように【イエス・キリスト】が、【ローマ総督】から”尋問”と”死刑判決”を受けた場所は【神殿】の傍の【アントニヤ要塞】近辺で、そこには【宣告の教会】【鞭打ちの教会】が建てられ(ヴィア・ドロローサ第1、2ステーション)、巡礼の方々が【主イエス様】の御受難を偲んで歩きます。
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