Images of 城伯
ロ-テンブルク起点で午前ディンケルスビュ-ルのあとの午後ニュルンベルク観光の旅行記です。
ニュルンベルクといえばワ-グナ-の楽劇「ニュルンベルクのマイスタ-ジンガ-」の舞台となった職人が活躍した街です。
今は観光客相手の土産を売っている職人広場でニュルンベルガ-ソ-セ-ジを食べ美味しく頂きました。
聖ローレンツ教会は二つの尖塔を持った大きな教会で内部の装飾美術の水準は高く中でも受胎告知のレリ-フは見ものです。
ニュルンベルク城 からの市街の景色は見晴らしが今一つなので、塔のような高い場所から見られたら良かったと思います。
街が発展し大きくなり過ぎて中世の雰囲気はロ-テンブルクやディンケルスビュ-ルほどコンパクトにまとまった感じはありませんでした。
「デュ-ラ-の家」の外観は中世の巨匠の画家の家に相応しい豪華さがありました。
クリスマスマ-ケットが開かれる中央広場前のフラウエン教会の重厚な建物とファザ-ドを見ると質実剛健なドイツのイメ-ジにぴったりでした。
クリスマスマ-ケットの時期に観光するのが更に良いかもしれません。
第2次世界大戦の空襲と地上戦で90%破壊された街を元のままに復興させられるドイツ人に凄味と民族の誇りを感じました。
□ 6/24(金) 成田空港→オランダ スキポ-ル空港乗継ぎ→ミュンヘン空港 ミュンヘン泊
□ 6/25(土) ノイシュバンシュタイン城,ヴィ-ス教会 ミュンヘン泊
□ 6/26(日) 日中 ケ-ニヒス湖,オ-バ-湖(Obersee )
□ 6/26(日) 夜 ミュンヘン旧市街 ミュンヘン泊
□ 6/27(月) 午前 ミュンヘン旧市街
□ 6/27(月) 午前 ハイデルベルク旧市街 ハイデルベルク泊
□ 6/28(火) 午前 ハイデルベルク
□ 6/28(火) 午後 ヴュルツブルク ロ-テンブルク泊
□ 6/29(水) 午前 ディンケルスビュール
■ 6/29(水) 午後 ニュルンベルク
□ 6/29(水) 夜 ロ-テンブルク旧市街 ロ-テンブルク泊
□ 6/30(木) 午前 ロ-テンブルク
□ 6/30(木) 午後 フランクフルト フランクフルト泊
□ 7/1 (金) ライン川下り(リュ-デスハイム→ボッパルト),
マインツ ケルン泊
□ 7/2 (土) 午後 アムステルダム ザ-ンセ・スカンス アムステルダム泊
□ 7/3 (日) 日中 アムステルダム旧市街観光
□ 7/3 (日) 夕方 オランダ スキポ-ル空港発(成田直行)機内泊
7/4 (月) 成田空港着
画像は中央広場(ハウプトマルク)から見たフタウエン教会
歴史 ウィキペディアから引用
人口50万人を超えるバイエルン州第2の都市(ドイツ全体では14番目)である。隣接するフュルト、エアランゲン、シュヴァーバッハとともにフランケン地方の経済的・文化的中心をなしている。中世からの伝統ある都市であり、ドイツ統一を主導したホーエンツォレルン家がニュルンベルク城伯を世襲した都市である。
1065年神聖ローマ帝国ハインリヒ4世は裁判権と統治権を持つニュルンベルク城伯の位を新設し、ラープス家にこれを与えた
1190年あるいは1191年以後、この地位はツォレルン家(後のホーエンツォレルン家)に移された。
1219年、皇帝フリードリヒ2世の大特権授与によりニュルンベルクは帝国自由都市となった。
1427年、最後の城伯フリードリヒ6世(ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ1世でもあった)はニュルンベルク城の権利をニュルンベルク市参事会に売却し、これ以後、バイエルン王国に併合されるまで、この都市の行政権は市参事会の手に委ねられた。
1470年から1530年までの期間ニュルンベルクはその最盛期を迎えていた。優れた手工芸やヨーロッパの中央に位置する交易上の好条件により、この街に富がもたらされた。マイスタージンガーのハンス・ザックスや、画家アルブレヒト・デューラーはこの時代にニュルンベルクで活躍した人物である。
1618年からの30年戦争後、経済的に次第に衰弱していった。
1806年9月15日、フランス軍はこの都市をバイエルン王国に引き渡した。
1920年代からニュルンベルクで国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)の党大会が開催された。
第2次世界大戦で1945年1月の空襲と4月の地上戦で街の90%が破壊。
戦後ナチス政権要人を裁く「ニュルンベルク裁判」が行われた。
市の再建は、建設責任者ハインツ・シュマイスナーの指揮の下、かつての都市構造に従って街の再建が行われた。