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「阿津賀志山の戦い」でなぜ奥州藤原氏は滅ばなければならなかったのか。源平マニアが5分でわかりやすく解説
うたがわくにさだ さく「ごさんねんおうしゅうかっせん」 歌川国貞 作「後三年奥州合戦」 - 刀剣ワールド
奥州合戦(討伐)を簡単にわかりやすく紹介!【奥州藤原氏が滅亡した理由】
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◆奥州合戦が行われた現場 @@@:戦国観光やまがた情報局|山形おきたま観光協議会
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「平安京物語」108”奥州合戦“奥州合戦(おうしゅうかっせん)は、文治5年(118
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奥州合戦へもつれ込んだ源氏の兄弟喧嘩~源義経を兄の頼朝が排斥した理由とは?~
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国見町には源義経の死後に、頼朝が藤原氏を攻めた奥州合戦の遺跡があります。
まず、古代から続いていた東北地方の独立国と、その滅亡の歴史を概観しておきます。
1世紀末に武内宿禰が「東のひなに日高見国あり。土地肥えて広し、撃ちてとるべし」と景行天皇に奏上してヤマトの東征が始まった。
ところが、367年に田道将軍勢がツガルで全滅。780年ヤマトの多賀城が焼き払われ、789年5万のヤマト軍がアテルイに敗れるなど、東北王権は独立を保っていました。
壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が敗れ、日本は東北地方を支配する藤原氏と関東以西を支配する源氏とに二分されたが、全国制覇を目指す頼朝は藤原氏に対して圧力を強め、藤原氏が京都朝廷へ直接献金していたのを鎌倉経由とするよう要求し、藤原氏はこれに従ったとされるが、西行法師が頼朝に会ってから平泉の藤原秀衡を訪れたのが1186年で、同年10月には平泉から砂金450両が都に到着している。
1188年2月:源義経の平泉滞在を知った頼朝は、朝廷に求めて藤原泰衡に義経追討の宣旨を下したが、泰衡は前年に死去した秀衡の遺命に従い追討宣旨を拒否した。業を煮やした頼朝は藤原泰衡追討の宣旨を朝廷に求めた。
1189年4月:泰衡は鎌倉方の威圧に屈して衣川館を襲い、義経の首を鎌倉へ送って恭順の意を示したが、頼朝の本心は奥州藤原氏の殲滅にあり、全国に動員令を発令。各地の地頭は頼朝を怖れてこれに従った。
6月:義経の死亡を知った後白川法皇は、戦闘停止の院宣を鎌倉に送り、ついで泰衡追討の延期を命じる宣旨も頼朝に届くが、頼朝はすべてを無視して東北征伐を敢行した。
奥州側は国見町の阿津賀志山に城壁を築き、中腹から阿武隈川までの約4kmに、幅10m余りの二重堀(ふたえぼり)を掘って阿武隈川の水を引き入れ、2万の兵を配備して迎撃態勢を取ったが、頼朝の鎌倉軍は戦馴れした2万5千の兵力で襲来し、濠を埋めて突破した。
8月8日から10日までの国見町を主戦場にした「奥州合戦」は鎌倉方の勝利に帰した。以後、奥州方には大規模な会戦の余力はなく、政治の中心地・多賀城も防衛できず、22日には本拠地の平泉も陥落した。
9月3日には蝦夷地を目指した藤原泰衡が比内で殺された。
この奥州征伐の戦役で、古代から続いていた東北の独立国が滅亡し、武士によって始めて、日本として全国が統合されたが、藤原氏が夢見た「仏教王国」は瓦礫に帰した。
500年あとの1689年5月3日にこの地をたずねた芭蕉は、福島でもじずり石を見て、月の輪で阿武隈川を渡り、佐場野で義経の従者佐藤兄弟の父の城跡(丸山・館山)を訪れ、佐藤一家の菩提寺である医王寺で寺宝の義経・弁慶の遺品をみて「笈も太刀も五月(さつき)にかざれ紙幟」と詠んで、飯坂の貧家の土間に泊まった。
翌日は大木戸を越え、宮城県白石市の田村神社甲冑堂で、佐藤兄弟の嫁二人が夫の鎧を着て姑を慰めたという木像を見たが「奥の細道」ではこれを医王寺の話にしている。
封建体制が確立された江戸期に訪れた芭蕉にとっては、佐藤一家の忠節物語りが興味の中心であり、日ノ本と呼ばれていた東北王国が滅亡した奥州合戦の故地は、興味を惹かなかったらしい。
現在、国見町の防塁は発掘整備され、近くには藤原氏の平泉をめざす義経が休んだという腰掛松(2013年に枯死)や、戦死者の名を書きとめるに用いたという弁慶の硯石などがある。
この国見町は福島県の北部で宮城県と接している。地形的に山がせまっている交通の要衝で、現在でも東北本線、陸羽街道、東北自動車道が近接し並んで走っている(新幹線は地下)。
最寄り駅は東北本線の藤田駅(旧国見宿)で福島から10数分で着く。
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