新発田藩 領主と領民との間には程良い関係が保たれ、溝口氏の治世は安定、学を好む穏やかな藩風を育んだ。/鈴木康【3000円以上送料無料】
新潟・新発田の街歩き(一日目)~新潟の沼垂町は新発田藩の版図。赤穂浪士の一人堀部安兵衛の生誕地でもある城下町を巡ります~
【3980円以上送料無料】新発田藩 領主と領民との間には程良い関係が保たれ、溝口氏の治世は安定、学を好む穏やかな藩風を育んだ。/鈴木康/著
新発田藩 領主と領民との間には程良い関係が保たれ、溝口氏の治世は安定、学を好む穏やかな藩風を育んだ。
新潟県新発田市諏訪町に鎮座する諏訪神社は新発田総鎮守として新発田藩主の溝口氏に篤く崇敬されてきた。創建は大化4年(648年)と伝えられる。祭神は「建御名方命(主神)」、「八阪刀売命(配神)」と新発田藩祖「溝口秀勝(相殿神)」で、神社拝殿には「諏訪神社」と「溝口大祖神」の掲額が掛かる。
当時、大和朝廷により渟足柵や磐舟柵が置かれた際、柵戸として信濃国から移住した人々が、現在の諏訪大社より分霊を勧請したのが起源とされる。日本の最北に越後国を設ける際に、中、上越の民と信濃の民を下越に移住させたとされる。そのため、古社には信州の神が多くある。信州を流れる千曲川が越後に入ると信濃川となることは誰でも知っている。信州から来た民が故郷を偲んで名付けたと考えれば合点がいく。
2001年、江戸時代(宝暦6年(1756年))に建造された社殿が焼失したが、市民の寄付などにより2004年に再建された。それがあり、2004年、諏訪大社の秋宮一之御柱が新発田諏訪神社に寄贈された。
毎年8月末に行われる例祭では、新発田台輪の勇壮さで知られる。しかし、新発田台輪には県北の祭、村上大祭、瀬波大祭、岩船大祭のしゃぎり屋台(山車)ほどの豪華さはない。村上大祭の仁輪加(にわか)屋台といったところか。村上藩が大藩(9〜15万石)であった頃に始められた祭りと5〜6万石の城下の祭りの違いであろう。
(表紙写真は新発田諏訪神社拝殿)
新発田藩 領主と領民との間には程良い関係が保たれ、溝口氏の治世は安定、学を好む穏やかな藩風を育んだ。
新発田藩 領主と領民との間には程良い関係が保たれ、溝口氏の治世は安定、学を好む穏やかな藩風を育んだ。
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