Images of 本山派
花を愛でるのが好きな私たち、そろそろ梅の季節ということで小野小町ゆかりのお寺『随心院』に梅を見に行きました。
七分咲きの梅の花とほのかな梅の香りに心癒される一日でした。
随心院についてHPからの抜粋・・・『当山は、真言宗善通寺派の大本山にして、弘法大師御入定後、121年、弘法大師より8代目の弟子にあたる仁海僧正の開基にして、一条天皇の正歴二年(西暦991年)奏請して、この地を賜り一寺を建立されました。
古くは牛皮山曼荼羅寺と称されました。この付近は小野氏の領地であった所であり,随心院は仁寿2年(852年)宮仕えを辞した小野小町の居住跡と言われている。』
秋の紅葉ライトアップ旅行記も作成しましたので、よかったらのぞいてみて下さい。→http://4travel.jp/traveler/joecool/album/10167157/
醍醐寺は真言宗醍醐寺派の総本山である。
歴史的には醍醐天皇を始め歴代の天皇皇族が、また太閤秀吉の醍醐の花見などを思い起こすことができ、由緒のある古刹である。
パンフによれば醍醐寺は弘法大師孫弟子、理源大師・聖宝が、創建し、山岳信仰の霊山笠取山(醍醐山)に登り、?(中略)准胝・如意輪の両観音を刻み、山上に祀った。とある。
真言宗の中でも、山岳信仰を行う異色の宗派である。
醍醐寺に興味を持ったのは、2001年現役リタイヤ前であったか、後であったか、この年東京国立博物館で開催された「国宝・醍醐寺展」を見てからである。
現在では何が出展されていたか個々には覚えていないが、醍醐寺展の一環として行われ、NHKが放送した、醍醐寺一山の約60~70名の僧侶による声明(しょうみょう)であった。真言宗(智山派、豊山派など新義真言宗系と高野山、醍醐寺派など古義真言宗)においては読経の中で声明を聞くことがあるが、一山の僧侶による声明にはえらく感動した。洋楽の3部合唱と同じように高音、中音、低音の声明がきれいな和音となって響き、声明に楽譜があるかどうか知らないが、まさしく楽譜があるがごとく唱えられていた。導師のインタビューで、出演に際しかなりの練習を積んできた旨語られていた。
新幹線のぞみは12時過ぎ京都駅に到着した。ホテルは京都駅前に予約してあったので、チェックインの手続きだけ済ませた。当初の予定では、JRと地下鉄を乗り継ぐつもりであったが、初めての醍醐寺であったので、急に気が変わって京都駅前からタクシーで向かった。
当日4月8日は四月第2日曜日で、醍醐寺では毎年1回行われる恒例の豊太閤花見行列が催される日であった。このためタクシーのドライバーから醍醐寺周辺は大渋滞しているとのことで、予め釘を刺された。
確かに渋滞をしていたが、さほどのこともなく、醍醐寺三宝院の前について驚いた。三宝院チケット売り場からの列は延々と続き、また霊宝館、山門方面も人、人、ひとであった(正月の浅草浅草寺仲見世通りを彷彿する。)。豊太閤の花見行列は山門の中で行われるため(係員の話。この行列は見物していない。)、しばらくして三宝院付近は入場者のみとなり、その後は比較的スムースに入場できた。
三宝院には枝垂れ桜の大木があった。桜はちょうど満開であった。
帰宅してからわかったのであるが三宝院の枝垂れ桜の写真を見た絵画に造詣が深い、高校時代の同級生から、奥村土牛の代表作「醍醐」はこの桜を描いたものではないかと言うメールが入った。
山種美術館ホームページ作品紹介の項で奥村土牛の作品はこの「醍醐」が紹介されているという。
作品「醍醐」と写真を見比べると、ほぼ同じ角度で撮影したものがあった。土牛は3、4日通い写生したが。作品はかなり後年に発表されているという。偶然とは云え、思い出深い写真となった。
山種美術館HP 作品紹介URL
http://www.yamatane-museum.jp/collection/collection.html
霊宝館のお目当ても枝垂れ桜である。
樹齢は優に400年を超えている。と云うことはあの太閤の醍醐の花見時すでに存在していたものだろう。一昨年三春の滝桜、昨年山梨の神代桜を見ているが、滝桜の樹齢は1,000年以上、神代桜は1,800年以上と言われている。確かにこれらの桜に比べれば幹も若い。しかし、枝の張り、花づきは見事の一語である。改めて枝垂れ桜の生命力には驚くばかりである。
翌日再度醍醐寺を訪れた。広々とした伽藍のある下醍醐の広い敷地内を散策してみた。三宝院、霊宝館の桜は枝垂れであるが、山門をくぐると咲き始めた桜もあるが山桜かどうかわからないがまだつぼみか、咲き始めで、金堂、大講堂周辺の桜が一部咲いていたのみだった。全体的にはかなり遅れていたようだ。