Images of 白日夢 (谷崎潤一郎)
谷崎潤一郎記念館に行ってきた。特に谷崎文学のファンというわけではない。なぜ谷崎潤一郎の足跡を訪ねて芦屋にあるこの記念館まで行ってきたかというと、芥川賞作家・平野啓一郎の講演会が谷崎潤一郎生誕100年「残月祭」にちなみ行われたからである。
僕は日ごろから平野啓一郎のtwitterやfacebookをフォローしている。facebookではお友達でもある。そんな関係で平野先生が谷崎潤一郎生誕100年祭で講演をするとネットで呟いたのである。ミーハーな僕としてはこれはなんとかして行かなければならないと思ったのである。現役作家の話が聞ける、それも目の前で、である。
三島由紀夫の再来と云われた芥川賞作家を拝めるとなればこれはなにがなんでも行かなければならないのである。それゆえ芦屋へと赴いたのである。会場は芦屋市ルナ・ホール。たんに講演を聞くだけでは知識が身に付かないのではと思い、急遽谷崎潤一郎の本を買って読んだりもした。平野啓一郎先生の講演は午後2時からである。午前中の空いた時間に谷崎潤一郎記念館へ行っみることにした。
JR芦屋駅からタクシーで10分ほど走ると閑静な住宅街の中に記念館は建っていた。
谷崎潤一郎は明治19年に東京日本橋に生まれている。東京生まれの東京育ちの谷崎がなぜ芦屋に関係があるのかというと、大正12年から昭和24年まで芦屋で暮らしていたのである。しかし、芦屋の同じ所に居住していたのではなく、この間、転居は12回にも及んでいる。芦屋や阪神間は谷崎潤一郎にとってお気に入りの場所だったのである。終焉の地は神奈川県湯河原の湘碧山房である。
芦屋を舞台にした有名な小説が『細雪』である。その執筆もここでした。谷崎にとってこの関西の温暖な気候と芳醇な風土は堪らない魅力だったのである。谷崎はいくつかのエッセイの中で関西の魅力をこのように書いている。
「上方というところは誠に美食家の天国である。また、大阪の女性のつましさと、声の良さは堪らない。町並みには東京が忘れてしまった昔日の日本橋の面影が思い出される。そこには、心身ともに風土人情に馴染み親しんでいる関西人の姿が垣間見れるのである」。
東京人として関西を眺めた谷崎の視線がここに交錯し、谷崎独自の文化論が形成されたのである。それがこの芦屋であった。
タクシーを降りると、玄関から顔を上げて記念館を眺めてみた。数寄屋造りの瀟洒な平屋の建物である。入り口には風情ある『谷崎潤一郎記念館』と彫られた石碑の看板が”ようこそ”と迎えてくれる。
館内に入ると展示室はひと部屋だけの小さな記念館である。しかし、谷崎潤一郎の人となりと文学の足跡は充分伝えていると思われる。日本庭園もありこれは芦屋から移り住んだ京都下鴨の潺湲亭(せんかんてい)を模したそうである。落ち着いた情緒あふれる谷崎好みの庭だ。
ひと部屋だけなので展示室を見るのにそれほど時間は掛からない。ひと通り記しておくと、入り口に書斎を再現した四畳半の部屋があり、執筆の机が往時の谷崎を偲ばせるように置いてある。展示のショーケースには『細雪』や『春琴抄』等の初版時の本や直筆の原稿や手紙が置かれている。また谷崎愛用の万年筆やメガネなども展示されていた。これらは谷崎文学の愛好者ならずとも楽しめるものである。
1時間ほど見学し、昼食の後、またタクシーでルナ・ホールの平野啓一郎講演会へと向かった。今回の講演のテーマは”愛の作家”谷崎潤一郎にふさわしく『恋すること、愛すること』である。
ここにおよそその1時間半の講演の概要を記しておく。
−”恋すること”とは相手を好きだという一方的な思いでその相手を獲得するまでのこころの動きである。このことを文学の上で表現したのは三島由紀夫である。彼の『仮面の告白』や『英霊の声』(天皇に対する一方的な恋として)などはその典型ということができる。これに対して”愛すること”とは、恋が成就してからの継続の状態をいうのであって、谷崎文学はこのことを表現している。これは『万葉集』や『源氏物語』にも共通してみられることであり、谷崎の『痴人の愛』の主人公ナオミは、これの典型として描かれている。主人公のナオミと相手との継続した時間を、愛として描いた文学だということができる。ー
およそこのような内容の講演であったが、最後に質問の時間があったので僕は手を挙げて質問をしてみた。
「谷崎潤一郎も平野先生も、作品によりテーマも文体も違っているのですが、その点では二人は共通しているのですが、平野先生が提唱している『分人』とは、作品ごとの違いは関係があるのでしょうか?」。
平野先生は、僕の質問に真摯に答えて下さった。
「作品自体と分人とは関係ないこともありませんが、文体は主人公がどういう人であるかということによって決まります。主人公の性格なんですよ。楽天的であったり悲観的であったりということです。楽天的な性格の場合はあまり難しい文体はそぐわないと考えますので」。
これ以上は突っ込んで質問はしなかったが、つまり小説を書く場合は、分人は小説を書くひとつの分人であり、テーマや文体によって分人は存在しないということのようである。僕はそのように理解して会場を出たのである。
講演終わりに平野先生の著書の販売があった。書籍を買った人は平野先生のサインを頂けるということで僕もサインを貰うことにした。最新刊の短編集『透明な迷宮』を買い求め、ついでに写真もお願いするとにっこり笑って気安く応じてくれた。作品とは違い大変気優しいお人柄とお見受けした。現代を代表する文学者なのに、どこにでもいるおにいちゃんじゃあないかと思えたのである。そんな優しさがとても素敵であった。
平野先生は、京都大学在学中に芥川賞を受賞している。これは石原慎太郎、大江健三郎、村上龍に次ぐ四人目の大学生での芥川賞受賞である。
谷崎潤一郎生誕100年祭は、僕に多くのことを教えて平野先生の笑顔と共に終了したのであった。