Images of 稚野毛二派皇子
懐良親王 ”日本国王”となった超・武闘派皇子懐良親王(かねよししんのう 1329?年-1381年)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての皇族。後醍醐天皇の第8宮皇子。官位は一品・式部卿。征西将軍宮(せいせいしょうぐんのみや)と呼ばれる。外交上は明の日本国王として良懐(りょうかい)を名乗った。南朝の征西大将軍として、肥後国隈府(熊本県菊池市)を拠点に征西府の勢力を広げ、九州における南朝方の全盛期を築く。
有間皇子の悲劇とは。大化の改新(645年)後即位した孝徳天皇は政治の実権を中大兄皇子に任せ、皇子は新たな政治を次々と打ち出す。653年都を難波から大和へ遷すことを拒んだ孝徳は一人難波に残されて失意の内に憤死した。この孝徳の唯一血の繋がった息子が有間皇子であります。
失意の内に無くなった孝徳の跡継ぎは、その妻(皇極上皇)が再び天皇となり斉明と名乗った。同じ天皇が再び皇位に着くことを重祚と言うが、歴史上重祚したのは二人。残る一人は怪僧道鏡を寵愛した孝謙天皇、後の称徳天皇であります。有間皇子にとっては、父と自分を無視した中大兄皇子の仕打ちに、失意の日々を送っていたであろうことは、察するに余りありますと同時に身の危険を察知すべきだったかもしれません。
斯様な時にすり寄って来たのが、蘇我赤兄。赤兄は「斉明には失策がある」と唆された有間皇子は挙兵を決意するが、その気持ちを赤兄に逆手にとられて捕らえられてしまう。幼子の手をひねるような、策略に乗ってしまったのだ。斉明天皇と中大兄皇子が湯治で待つ、牟婁の湯(白浜温泉)に送られた有間皇子は、尋問の末に討たれる。(絞殺されたと伝わる)
岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また帰り見む(今、私は松代の松の枝を結んでいく、万一無事でいられたら、もう一度ここに戻ってこの松を見ることが出来るであろ)と尋問に向かう心情を謳い
家にあれば 笥(け)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎(しい)の葉に盛る(家にいたなら立派な器に盛ってお供えする飯、旅の身である私は椎の葉盛る)と尋問の前日に我が身を神に祈ったしかし、祈り空しく有間皇子は尋問の二日後都への護送中に、藤白で討たれた・・・というのが定説であります。
斉明天皇と中大兄皇子そして有間皇子は、牟婁の湯に浸かりながら、今回のことはお互い「湯」に流そう。しかし臣下の手前中途半端な結末はまずいので、「有間君には一芝居を打って藤白で亡くなったことにしてもらう、しかし身の安全は保証する。今後は名を有馬と改めて、政治の世界から身を引いてくれ。賄いに関しては有馬温泉の湯主として身を立てられるように計らう」と牟婁血盟が結ばれたというのが、隠され続けてきた歴史の真実である。
有間皇子の墓が在るという、海南市藤白地区を散策していると、なれ寿司屋さんがありました。近在にはコンビニは勿論食堂も何も無いので、なれ寿司を求めて車内で昼食を食べました。その後、散策疲れと満腹感でつい気を失った風に眠りにはまった、その瞬間に有馬温泉に関する有間皇子の夢によるお告げがあった。お墓の前で居眠りすると狐にだまされたのか、はたまた皇子が真実を告げたかったのか。
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日本書紀によれば、厩戸皇子は用明天皇の池辺双槻(いけのへの・なみつきの)宮で生まれ、宮殿の南の上宮(かみつみや)で少年期を過ごしました。
その後しばらく音沙汰なく、次に登場するのは
★用明2年(587年)秋7月、
蘇我馬子宿禰大臣は、諸皇子と群臣とに勧めて物部守屋大連を滅ぼそうと謀った。泊瀬部皇子・竹田皇子・厩戸皇子(中略、皇子計5人、群臣5人)らが、一緒になって軍勢を率い、大連を討った。★
厩戸皇子13才または14才です。
現代では青春というには幼いですが、当時ではそろそろ大人の仲間です。
仏教伝来にともなう宗教戦争、丁未(ていび)の乱の勃発です。排仏派の物部守屋の本拠地河内国へ、崇仏派の蘇我馬子率いる連合軍が攻め込んだのでした。厩戸皇子は馬子連合軍に加わりました。
書紀の書き方、年齢からいって、最初はその他大勢の一人という感じです。
でもこの事件は厩戸皇子の青春を彩る一大イベント、現大阪府八尾のあたりの古戦場をたどります。
六国史および参考書については、「六国史の旅 厩戸皇子1」をご覧下さい。
引用に際し僭越ながら敬称を略させていただきます。
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この旅行記は2020年6月23日~7月1日、11月14日~23日の2回の旅の記録ですが、初投稿日順に並べるために、12月1日以降の旅行日とします。