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重盛さと美さんのインスタグラム写真 - (重盛さと美Instagram)「重盛さと美「Lonelytonight☆」 「会えない」をテーマに作詞作曲しました✨ 遠距離、出張、忙しかったり… 会いたいのに会えない時に聞いて欲しいです😊😌💕 #iTunes他各配信サイトで配信スタート! #福徳さん背高い! #8年間気付かんかった(笑) ☺️☺️☺️😆😆😆😉😉😉😝😝😝」3月31日 13時11分 - satomi_shigemori
特別展 「仏像の姿」~微笑む・飾る・踊る~
日本には、古来多くの優れた仏像が伝えられています。本展覧会は、これら仏像の作者である仏師の豊かな独創性と高度な技術に光を当て、特に仏像の「顔」「装飾」「動き」を切り口に、多様な表現による魅力的な仏像を一堂に展示して、日本人の心と創造力を様々な角度からご覧いただきます。
例えば、「顔」では慈悲、微笑み、威厳、怒りなど色々な表情を、「装飾」では仏身の輝き、彩色、装身具による華麗な荘厳(しょうごん)などを、「動きとポーズ」では体幹の支点や捻(ひね)り、手足の上下による微妙な動きから、踏みしめたり、蹴り上げたり、舞踊に近い大ぶりな動作までを、普段あまり気づかないところをご紹介いたします。
① 仏像の顔
顔は、人を識別する表札のようなものであるとともに、その人の人格を表すものといわれます。それと同じように仏像の顔も、その像の仏としての本質と個性を表すものといえます。
例えば、如来や菩薩に代表される優しい顔は、慈しみをあらわす慈悲の心の象徴ですし、明王や天部のこわい顔は、人間の心に生じた悪をこらしめ、正しい道へと導く厳しさを表しています。しかし、優しい顔の中にも、可愛らしさや微笑みの表情があり、こわい顔にも怒りや威厳、威嚇(いかく)などがあり一様ではありません。
魅力的な個性あふれる仏像の顔は、目鼻口の位置や頬の張り、瞼(まぶた)の微妙なふくらみ、眉間や口元のしわなど、仏師の繊細な感性と巧みな技術によって生み出されているのです。
② 仏像の装飾
美しく飾るという意味の荘厳(しょうごん)は、仏像そのものや仏像が安置される空間を美しく飾ることで、ほとけの福徳を表すと考えられ、日本でも古来より仏像に様々な装飾が施されてきました。
仏像の装飾といっても、その在り方は多様です。例えば、宝冠・胸飾などの装飾品は、美しい金工品でつくられていたり、仏像本体と共に緻密に彫り出されていたりします。仏像の着衣には、鮮やかな彩色や精緻な截金(きりかね)が施されている例も数多く見られます。さらに、仏像が背にする光背や坐っている台座は、まさに荘厳の一つです。
一方、仏像の着衣に見られる美しい襞の衣文(えもん)表現や、天部像の着る甲冑の「獅噛(しがみ)」などの表象も装飾として捉えることができるでしょう。これらの装飾からは、制作時代の違いだけでなく、仏師の個性やセンスをうかがうことができるのです。
③ 仏像の動きとポーズ
日本の仏像は、坐像にしても立像にしても動きが少ないイメージが強いのではないでしょうか。確かに、一見しただけではその通りかも知れませんが、位置を変えてじっくりよく見ると、実は微妙な体の捻りや手足の上げ下ろしによって、極自然な体の動きが生まれているのに気が付きます。そこから優雅な舞踊の姿や力強く踏みしめたり、蹴り上げたりする形の表現も創られているのです。
この展覧会は、そのあり様を制作者である仏師の側に立って見てみようとする試みです。それぞれの人が、写真では分からなかった仏像の動きやポーズに、新たな発見をするはずです。
http://www.mitsui-museum.jp/exhibition/ より引用
三井記念美術館は、東京都中央区日本橋室町にある、旧財閥三井家の伝来品を収蔵展示するために設立された私立美術館である。
1985年、東京都中野区上高田に「三井文庫別館」として開館し、2005年10月8日より、三井本館(重要文化財建造物)7階に移転し、「三井記念美術館」と改称した。運営は、公益財団法人三井文庫。
三井家は、本家にあたる総領家を含め11家に分かれているが、三井記念美術館には、おもに北家(総領家)、新町家、室町家伝来の文化財が収蔵されている。 北家(総領家)伝来品は、三井文庫別館開設時に11代当主・旧男爵の三井八郎右衛門(三井高公、1895-1992)から寄贈されたものである。円山応挙が三井家のために描いた『雪松図』、国宝2件を含む刀剣類、藤原定家の日記の一部である「熊野御幸記」、金剛右京家伝来の能面類などが著名である。 新町家伝来品は、同家10代当主・旧男爵の三井高遂(みついたかなる、1896-1986)から寄贈されたもので、火葬墓から出土した墓誌としては日本最古の年紀をもつ「船氏王後墓誌」(ふなしおうごぼし)が著名である。 室町家伝来品は1993年(平成5年)に寄贈されたもので、日本製の陶磁器としては数少ない国宝のひとつである、志野茶碗「卯花墻」(うのはながき)が著名である。
他に、南家当主・三井高陽(みついたかはる、1900-1983)の収集にかかる、世界有数の郵趣コレクションも収蔵されている。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
三井記念美術館 については・・
http://www.mitsui-museum.jp/
日本橋(にほんばし)は、東京都中央区の日本橋川に架かる橋、またはこの橋にちなむ東京都中央区の町丁、および同区北部の広域地名である。 (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)