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「行宮」と言うと日本の場合、天皇の行幸とか長期のお旅立ちに際して、仮住まいとして建築されたもので、天皇以外の者は「行宮」の名称は使えない。徳川将軍家の約270年間の倍近い500年間命脈を保った李氏朝鮮の王朝がどんなものか詳しくは知らないが、その命脈の長さから言って、日本の天皇家よりも更に煌びやかな王朝文化を醸していたことは想像に難くない。
この「華城行宮」の中に飾られている調度品の数々、貴族従官の着ている物、廓の女官、等々、高度で贅沢な当時の雰囲気が伝わってくる。日露戦争が終わって5年後の1910年、即ち明治43年、帝国日本はこの500年間続いた李氏朝鮮を排し、日本国に併合した。朝鮮人の憤りは想像に余りある。その前年、朝鮮総督・伊藤博文はハルピン駅頭にて重安根により暗殺された。爾来、彼はこの国の英雄になっている。
歴史に疎い自分には日本が如何なる事情で朝鮮王国を吸収合併したのかはよく理解できないが、こうした事情、或いはその後に行われた誇り高き民族に対する創氏改名の強要などは、民族の誇りを傷つけ、その後今に至るまで彼等の心の奥底に反日感情を植え付けてしまった。日露戦争以降の日本の政策はどこかで道を踏み間違えてしまったのかも知れない。五族協和とは日本の利益追求の為に唱えられたお題目に過ぎなかったのかも知れない。
「行宮」の後方には八達山が迫ってきている。第22世正祖王は在位の後半、ソウル江華島よりこの地に移り王政を取っていた。そしてこの地で没し、父王荘献世子王と共にこの地の華山に埋葬されている。王足りとは言え、親を敬う子の気持ち。儒教精神が色濃く受け継がれてきた朝鮮の文化も、日韓併合、及びその35年後の韓国独立と共に失われてしまったのだろうか・・。
行宮の隅に楽器を収納する館などもあり、初めて見るような楽器の数々が陳列されていたが、これ等雅楽の音が山に木霊する様を想像し、この行宮を後にした。