Images of Template:鹿奴藩主
朱绍侯《中国古代史》第1章:中国原始社会+第2章:夏商时期奴隶制国家的建立发展 第2章:夏商时期奴隶制国家建立发展第3章:西周奴隶社会的进一步发展 第一章:中国原始社会 时间:约200万年前~前2070年第二章、夏商时期奴隶制国家的建立发展一、夏王朝的建立及其国家机构二、夏代经济文化的发展三、商代国家机构的发展四、商代社会经济和文化发展五、商代后期社会矛盾的加剧和商王朝向灭亡夏商周时期的文化敬天保民思想的形成第3章:西周奴隶社会的进一步发展(前1046――前771)
廃藩置県地図 | 世界の歴史まっぷ Japanese History, Historical Maps, Graphing, Edo Period, Elderly, Quotations, Study, News, School
旅の行程
5月30日 根雨、富吉
5月31日 所子、御来屋、鹿野
鳥取県日野郡日野町根雨(ねう)は、県西部を流れる日野川の中流域に位置し、米子から根雨を経て津山へ至る出雲街道と、根雨から新見へ出て、高梁~倉敷を経て岡山へ至る日野往来との、かつての街道の分岐点にある町です。
このような交通の要衝に位置する根雨には、松江藩が参勤交代の際に利用する茶屋本陣(七里茶屋)が置かれ、宿場町として発展します。
ちなみに松江藩は、参勤交代の際に印の入った羽織を着て一つ前の宿場まで藩主を迎えに行く「七里飛脚」の制度を設けていて、「七里飛脚」の業務は本陣が請負うのが通常だったことから、茶屋本陣を「七里茶屋」とも呼んでいました。
現在、松江藩の茶屋本陣の建物は現存していませんが、茶屋本陣のあった元の場所から南へ50mくらいの所にかつての門が移設されています。
千年以上の歴史を持つ「たたら製鉄」は、須佐之男命(スサノオノミコト)や八岐大蛇(ヤマタノオロチ)神話で有名な奥出雲地方に伝わる日本古来の製鉄法として知られていますが、良質な砂鉄が採れた日野川上流地帯でも、奥出雲と同様盛んに行われていました。
江戸時代になって鉄の需要が高まると、その生産量は急速に拡大し多くの製鉄家を生み出しますが、その中に、安永8年(1779年)に製鉄業に参入した、後に日野最大の製鉄家となる近藤家があります。
鳥取県下最大の製鉄家だった近藤家は、日野郡内に61ケ所の鉄山と、78ケ所の製鉄工場を経営しており、この地方の「たたら製鉄」の歴史を知るには近藤家なしには語れないと言われるほどで、「たたら製鉄」に関する資料は、近藤家に残る文書を除いて、ほとんどまとまったものは存在しないようです。
しかし、鉱物資源の国有化と採掘権の国家による独占を定めた「日本坑法(明治6年発布)」の制定により、日野の製鉄事情は急激な衰退へと大きく様変わりし、さらに、大正時代の頃から安価な輸入鉄鋼にも圧迫されるようになり、昭和に入るとまもなく鉱山の火は途絶えてしまいました。
現在の根雨には、「たたら製鉄」で栄えた近藤家のお屋敷を始め、昭和初期に建設された洋館の銀行などが出雲街道沿いに点在し、往時の繁栄ぶりを今に伝える町並みが続いています。