Images of 平和のための平壌国際体育・文化祝典
中でもプロボクシング統一世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリとの一戦は世界各国に中継され話題を呼んだ。日本では、昼間の生中継と同日のゴールデンタイム19時からのNETテレビでの録画中継という形で2度放送された(詳しくはアントニオ猪木対モハメド・アリを参照)。1979年(昭和54年)1月にはアフリカの元ボクシングヘビー級チャンピオンでウガンダの元大統領であるイディ・アミンとの異種格闘技戦の計画が浮上した『Gスピリッツ Vol.36』P15-16「『格闘技世界一決定戦』の表と裏」(2015年、辰巳出版、ISBN 4777814998)。アミンは猪木戦を承諾したが、その後クーデターを受けサウジアラビアに亡命したため、結局対戦は実現しなかった。1995年(平成7年)4月、平和のための平壌国際体育・文化祝典で猪木は当初、前年46歳の誕生日数か月前にWBA・IBF世界ヘビー級王座を獲得したジョージ・フォアマンとの対戦を希望したが、フォアマンは「とんでもない 北朝鮮になど行かない 俺は第一に愛国者、第二にボクサーだ わが国が北朝鮮と外交関係を持っていない以上、俺がそこに行くなんてありえない」と拒否 1974年キンシャサの奇跡で最初に世界王座に君臨していたフォアマンをKOして世界王座奪取し、1976年猪木と対戦したアリが来賓として参加、猪木自身はシングルマッチ 20分1本勝負リック・フレアーに完勝 12月30日、大阪城ホールにて自主興行「INOKI FESTIVAL」を開催。1996年(平成8年)11月3日には、以前自身が平壌での対戦を熱望したフォアマンが来日し、東京ベイNKホールで行われたWBU世界ヘビー級王座戦で判定勝ち。猪木は二宮清純と共にTBSテレビの解説を務めた。* 10月12日、東京プロレスの旗揚げ戦においてジョニー・バレンタインに勝利。* 11月19日、ジョニー・バレンタインを破り、USヘビー級王座を獲得。初のシングル王座戴冠を果たす。以降、バレンタイン、スタン・スタージャック、エディ・グラハムらを相手に防衛戦を行ったが、東京プロレスの崩壊に伴い王座は消滅。* 5月16日、クリス・マルコフを破り、ワールドリーグ戦初優勝。* 12月2日、NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアに挑戦、60分時間切れ引き分け。1970年(昭和45年)11月5日、星野勘太郎と組んでニック・ボックウィンクル&ジョニー・クインを破り、NWAタッグ・リーグ戦に優勝。1971年(昭和46年)3月2日、ジョン・トロスを破り、UNヘビー級王座を獲得。以降、フレッド・ブラッシー、ジャック・ブリスコ、フリッツ・フォン・エリック、ディック・マードックを相手に防衛戦を行ったが、日本プロレスからの除名に伴い同年12月13日にタイトルを返上。* 3月6日、新日本プロレスの旗揚げ戦においてカール・ゴッチに敗退。* 10月4日、カール・ゴッチを破り、世界ヘビー級王座を獲得。* 10月13日、坂口征二と組み、ルー・テーズ&カール・ゴッチと90分3本勝負で対戦、2-1で勝利。* 12月10日、ジョニー・パワーズを破り、NWF世界ヘビー級王座獲得。3月19日、NWF世界ヘビー級選手権試合でストロング小林と対戦、大物日本人同士の対決が話題となった。ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。* 4月26日、坂口征二と初対戦。30分1本勝負で時間切れ引き分け。* 8月16日、坂口征二と組み、クルト・フォン・ヘス&カール・フォン・ショッツから北米タッグ王座を奪取。* 10月10日、NWF世界ヘビー級選手権試合で大木金太郎と対戦、13分13秒でバックドロップからフォール勝ち。* 11月13日、ザ・シークとランバージャック・デスマッチで対戦、シークの試合放棄で勝利。* 3月27日、韓国のソウルにて大木金太郎のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦、両者リングアウトで大木が防衛。* 12月11日、NWF世界ヘビー級選手権試合でビル・ロビンソンと対戦、60分時間切れ引き分け。* 2月6日、ミュンヘンオリンピック柔道無差別級金メダリストのウィレム・ルスカと初の異種格闘技戦。バックドロップ3連発で勝利。* 6月26日、プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリと対戦、15R引き分けに終わる(アントニオ猪木対モハメド・アリ参照)。* 10月7日、アンドレ・ザ・ジャイアントと格闘技世界一決定戦で対戦、レフェリーストップで勝利。* 12月12日、パキスタンにてアクラム・ペールワンと対戦、ドクターストップで勝利。1977年(昭和52年)8月2日、空手のWKA世界スーパーヘビー級王者ザ・モンスターマン(エベレット・エディ)と対戦、KO勝ち。* 11月25日、ドイツのシュトゥットガルトにてローラン・ボックと対戦、判定負け。* 12月18日、WWF世界マーシャルアーツ・ヘビー級王座に認定され、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにてテキサス・レッドを相手に王座を防衛。* 8月26日、プロレス夢のオールスター戦でジャイアント馬場と組み、アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シンと対戦、シンを逆さ押さえ込みに仕留めて勝利。* 11月30日、ボブ・バックランドに勝利。日本人初、WWFヘビー級王座獲得(王座はのちに返上)。4月23日、NWFヘビー級王座決定戦でスタン・ハンセンに勝利。同時に、IWGP構想に基づき同王座を封印。* 8月6日、マスクド・スーパースターと賞金3万ドル&覆面剥ぎマッチで対戦、ジャーマン・スープレックス・ホールドで勝利。ルー・テーズとのNWF世界ヘビー級王座戦でフィニッシュとして使用していた。相手の手首を自分の肩越しにつかみ、二の腕から腕の付け根にかけて自分の肩に強打する、テコの原理を利用した技。1974年(昭和49年)6月26日大阪府立体育会館、NWFヘビー級選手権試合で、相手のタイガー・ジェット・シンに多用し腕を折った。「なんで逃げないの?」への答えは、「掌を押え、肘の関節を外に開く方向で力を加えているから、逃げようとするともっと痛い」。現役時代に最後の付き人を務めたのは藤田和之。猪木最後の愛弟子は第10代UFC世界ライトヘビー級王者であるLYOTOである。ある日、古舘伊知郎から1万円を借りたがそのことを忘れてしまった。当時若手だった古舘にとって1万円は大金であったが、相手は大スターであり、なかなか言うに言えず困っていた。ところがある日、猪木は急にそのことを思い出し、「いや〜、ごめんごめん」と30倍にして返した プロレス実況を辞める1987年に猪木から「カール・ゴッチから受け継いだ実力世界一の世界ヘビー級のベルトを渡された 3カ月後に新日本のフロントからレプリカと取り換えてくれと言われたけど、駄々をこねて今でもある 『なんでも鑑定団』に出したら800万円と言われた 」と証言している。