Images of 新愛国党
1996年の春頃から新党さきがけの党名を発案した簗瀬進や簗瀬の宇都宮高校の後輩で中選挙区時代からのライバルで同じく栃木1区出馬予定の新進党幹部船田元と新党構想を打ち上げる。船田との新党作りは挫折したが、さきがけを離党し、横路、簗瀬、菅直人、弟の邦夫と共に旧民主党を結党し、菅直人と党共同代表になる。結成の際、自民党時代からの盟友であった武村正義を、住専問題などで世論から厳しい追及を受けていたことから熟考の末に切り捨てた。この「排除の論理」は「友愛」と共にこの年の新語・流行語大賞に選ばれた。第41回衆議院議員総選挙(北海道9区・旧民主党公認)4期目当選。1997年、民主党幹事長就任。1998年、民主党を再編結成。幹事長代理に就任。1999年4月の札幌市長選挙では、民主党は現職桂信雄を推薦していたが、民主党を離党した中尾則幸を応援。しかし党からは一切処分を受けなかった。1999年9月の民主党代表選挙で菅直人、横路孝弘に勝利し、民主党代表就任。2005年9月11日投開票の第44回衆議院議員総選挙7期目当選。しかしこの総選挙で民主党が敗北したことを受け岡田克也が代表を辞任すると、後継を争う代表選挙では、小沢一郎、菅直人らと後継代表の一本化を図るが、中堅・若手の代表格である前原誠司が立候補を表明したため水泡に帰した。17日発足の前原執行部で幹事長に就任。2005年、同志社大学客員教授。2006年2月に発生した堀江メール問題では、当時幹事長にもかかわらず、ことの発端となったメールに関し、永田・前原両議員から事前にほとんど何の相談も受けていなかったとされる。3月、前原執行部が総辞職すると幹事長を引責辞任することを表明するが、同年4月7日に行なわれた前原誠司民主党代表辞任に伴う代表選で小沢一郎が当選すると、幹事長に留任した。新潟県中越沖地震発生当時、新潟市での演説を予定していたが、高崎駅で下車し、自動車で柏崎市入りした。党新潟県中越沖地震対策本部長に就任。2007年11月23日、民主党の幹事長だった鳩山はダライ・ラマ14世と会談し、ダライ・ラマ14世が、チベット問題について「高度な自治を求め、右手を中国政府に差し出しているが何も得られていない 左手で欧米や日本に協力を求めたい」と述べたのに対し、「力強くサポートさせていただく」と応えた。2009年1月14日、日本教職員組合(日教組)新春の集いに参加し民主党支援に感謝の言葉を述べるとともに「日教組とともにこの国を担う覚悟だ」と挨拶した。2009年6月、党議拘束が外された臓器移植法改正法案の採決に関し、「脳死は人の死」とする案(A案)を、小沢一郎や菅直人、岡田克也などほかの民主党幹部が賛成するなか、反対票を投じた。献金問題の追求が進展するなか同年8月30日投開票の第45回衆議院議員総選挙にて、民主党は単独政党として史上最多の308議席を獲得。2009年9月16日、衆参両院の内閣総理大臣指名選挙で国民新党・社会民主党を連立与党として、第93代内閣総理大臣に就任。戦後の首相としては、初の理系学部出身で、国立大学出身の首相は、宮澤喜一以来16年振りであった。また、新制大学としての東京大学卒の総理大臣は史上初だった。なお理系出身首相には中央工学校卒業の田中角栄や水産講習所(現東京海洋大学)卒業の鈴木善幸がいる。政権は高支持率でスタートした。2009年の流行語大賞には「政権交代」が大賞に選ばれ、表彰式には代理の小川敏夫が出席した。県外移設問題については、2010年(平成22年)5月4日に「学べば学ぶにつけて、(アメリカ海兵隊の各部隊が)連携し抑止力を維持していることが分かった」として、最終的には県外移設問題を先送りすることとなった 鳩山は、県外移設は民主党マニフェストではないとしたが、事実上の公約であったとして田中秀征は「当時、この鳩山代表発言に関して民主党内から大きな反論も議論もなかった どう考えても、[最低でも県外]は政権の公約である 」と述べ、当時党幹事長だった細野豪志も「昨年の衆院選前に県外と言った鳩山代表の下で選挙を戦った 私は党の公約と受け取っている」と語っている 琉球新報は公約撤回として批判した 日本経済新聞は普天間基地移設の失敗を「罪万死に値する失政」と評した。普天間基地移設問題や、政治資金問題が表面化したこともあり、支持率は低下。4月の核安全保障サミットではオバマ大統領との会談を再三要請するも拒否される。2010年6月2日に鳩山は民主党両院議員総会で 「国民が聞く耳を持たなくなった」と述べ、民主党代表および内閣総理大臣からの職を退くと表明した。同日、記者会から要請されていた首相退陣の記者会見は行わないと通知した。これは異例とされている。2010年6月8日、内閣総理大臣退任。のち、辞任した翌6月9日に芳賀大輔が再び政策秘書に就任したことが判明した。2010年9月民主党代表選挙では、鳩山グループの組織力を背景に小沢一郎と菅直人の対立を仲介する役割としての復権を目論むが、菅内閣の第2次改造の組閣に際しては、総理大臣経験者にも関わらず菅から全く相談をされなかった。菅首相の辞任に伴う民主党代表選挙では小沢グループと共に鳩山グループに所属する海江田万里経済産業大臣を支援したが、海江田は野田佳彦財務大臣に敗れた。野田内閣発足に伴う民主党役員人事で党最高顧問に就任した。2012年の消費増税をめぐる政局では、6月26日の衆議院本会議前に消費増税法案に賛成できないとして党最高顧問を辞任する意向を示し、同法案の採決で党の賛成方針に反して反対票を投じた(社会保障制度改革推進法案・認定こども園法改正案には賛成)。民主党は7月3日の常任幹事会で党員資格停止6カ月の処分とする方針を決定したが、党倫理委員会から「同一行為に対し処分の量定に大きな差があることはバランスを欠く」と再考を促す異例の答申があったため、7月9日の常任幹事会で3カ月に短縮されて正式決定した。9月の民主党代表選挙において野田代表が再選した場合、民主党からの離党を検討する考えを示した。野田総理大臣による2012年の衆議院解散を受け、離党を示唆していた鳩山は総選挙に民主党から出馬することを表明したが、党執行部が『消費税増税、TPP参加などに対する党の決定並びに方針に従えない者は公認候補としない』という姿勢を打ち出したことに反発、11月21日に『総選挙に出馬せず、政界を引退する』ことを明言し、野田代表に直接伝達した後に北海道苫小牧市で記者会見を行い、政界引退を正式表明した。苦戦が予想されていたことも不出馬理由のひとつとされている。また、2013年6月末を以て自らが立党に関わった民主党を離党することを明らかにし、自ら設立したシンクタンクである東アジア共同体研究所を拠点として活動する意向を示した。政界引退後は、一貫して古巣の自民党政権及び民主党を非難する持論を展開している。2013年6月25日に香港の鳳凰衛視で放送されたインタビューで、沖縄県・尖閣諸島について「中国側から日本が盗んだと思われても仕方がない」と中国の主張の法的根拠カイロ宣言に一定の理解を示す発言をし、改めて日中間の領土問題のある「係争地」であるとの認識を示した また、棚上げ合意に関して「文書ではないが、41年前に周恩来首相と田中角栄首相の間で合意したのは事実だ」と主張した 同日、これら一連の発言について菅官房長官は「我が国の首相を務めた人が、日本の領土の主権を揺るがせるような発言をすることは国益を著しく損なう」とコメントした それに対して同日、鳩山は「中国側がそういう判断するというふうな可能性があるということを申し上げた」とコメントした 更に「ポツダム宣言に書いてあるでしょう 固有の領土は、北海道、本州、四国、九州 それが固有の領土だと 日本は戦争に負けて、それが固有の領土になったんです この4つの島が固有の領土なんですよ そのあとは連合国軍が決める島なんですよ、残念ながら」と続け、「(菅官房長官ら非難者たちに対しては)もっと勉強して欲しいと思います」と述べた。2013年7月、尖閣に関する発言について、民主党より常任幹事会名で抗議声明が発表される。2015年3月6日、ロシアが前年に一方的に併合を宣言し、日本はじめ先進7カ国がいずれも承認していない併合地であるウクライナ南部クリミア半島への訪問を計画していることに関し民主党の枝野幸男幹事長は「その方は元自民党の議員でもあり、元民主党の議員でもある 今は少なくとも民主党に属している方ではない」と不快感を表明、別の党幹部も「ロシアに思い入れがあるのかもしれないが、控えてほしい」と困惑を見せた 3月9日、モスクワ入りした鳩山はクリミア訪問を明言し、同時に「世論調査では、(クリミア)住民は編入を希望した」と発言 日本政府の立場とは別にロシアによる併合に一定の理解を示した 3月11日、日本政府の自粛要請を押し切りクリミア入りした鳩山に対し、自民党の高村正彦副総裁は「『力による現状変更は認めない』という日本の立場に誤解をもたらし、国益に反して遺憾だ」と批判、民主党の枝野幹事長が「元自民党議員でもある」としたことについて「鳩山氏のクリミア行きは、元議員でなく『元首相』だから問題なのだ 民主党が鳩山氏を首相にしたことが、在任中だけでなく国益を害していることに、少しは責任を感じてもらいたい」と述べた この行動を問題し旅券を没収するべきだとの声も出される中、鳩山は旅券を没収されたらクリミアに移住する可能性もあると語った また、日本人は洗脳されている、ロシアのクリミア併合は正しいとの認識を示した 本行動に関し、米国務省当局者も声明を発表、「日本政府と同様、われわれは鳩山氏の訪問とコメントに深く失望している」とした。自らが結党した民主党が党名を変更し民進党となったことについて、「執行部のどなたかあいさつに来られるのかと思ったら、そんなこともない あんたのおかげで迷惑をこうむったみたいな気持ちなんでしょうかね まあ、私は民主党を追われた人間ですから」と振り返りつつ、「思い切って民進党のトップに山尾(志桜里)さんを据えたらどうかな」などとコメントした。2017年の第48回衆議院議員総選挙では民進党は事実上希望の党と立憲民主党に分裂した。鳩山の後継として北海道9区から出馬し、第46回、第47回と2回連続落選していた山岡達丸は希望の党の公認を得て比例復活にて当選を果たした。消費税については2009年の政権交代直前の時期に、「民主党のマニフェストを実行すれば消費税1~2%分ぐらいの経済効果は十分ある 消費税の議論をするのは10年ぐらい先の話で、実際に上げるのは20年後」と発言していた。2002年の日朝首脳会談と日朝平壌宣言に対しては、民主党代表として「小泉首相は急ぎ過ぎて国益を損なった その責任はきわめて重い」と厳しく批判 拉致問題に関して2003年には民主党拉致問題対策本部長に就任し、ブルーリボンを常に胸に付て拉致問題について積極的に発言するなどしていた 2007年4月、韓国で開催された「平和と共存のための北東アジア指導者会議」で、韓国の識者から「6カ国協議では、拉致問題と北朝鮮の核開発問題を切り離してほしい」という要望に同意するが、拉致問題に関して日本人は理屈より感情が先んじている現実があるので、ナショナリズムを抑えるために韓国の協力が必要であるとスピーチした。国際テロリズムの防止やイラク人道復興支援活動、アフリカ・ソマリア沖の海賊対策など国際秩序維持のための自衛隊海外派遣については、衆院テロ防止特別委員会における民主党の長島昭久議員の「自衛隊艦艇のエスコート(護衛)は海賊対策にかなり効果がある」との答弁に同調し「政権交代の暁に、積極的、前向きに検討する」としていた 政権交代後には政策集として連立を組んでいた社民党や国民新党などへの配慮から「一義的に海上保安庁の責務」という前提を付与しながらも「海保のみでは対応が困難な場合は、シビリアンコントロールを徹底する仕組みを整えた上で、海賊発生地域に自衛隊を派遣することも認める」と明記した。非核三原則を堅持する意向を示しており、日本は唯一の被爆国として核を持たずに、世界の核廃絶に向けリーダーシップを発揮しなければならない」とした。一方、核保有議論そのものに対しては核武装をめぐる発言で辞任した西村眞悟元防衛政務次官の問題に絡んで、「(核武装してもいいかどうかを)検討したらどうかと言った瞬間にクビを切られるとなると、国会の中で核を持つべきかどうかの議論がなされ得なくなると思う そこまで禁止をすることが正しいのか、本来は議題に乗せることすらいけないという発想も、いかがなものか」と述べているが、北朝鮮の核実験などに対して自由民主党政務調査会長だった中川昭一や麻生太郎外務大臣が非核三原則を見直すかどうか議論する必要があるとの発言については、「目には目をみたいな話 北朝鮮が核を持ったら日本も持つという発想は、世界全体に核が拡散してしまう論理になる 」と批判した。民主党幹事長時代の2008年6月26日、オーストラリア外相・スティーヴン・スミス(en)との会談で、「実はけさ、家内の手料理にクジラが出た 私はクジラを食べない主義なので拒否したが、日本の食卓ではクジラは好かれている現実がある」と述べ、日本の食文化としての捕鯨を理解するように求めている 首相就任後の2009年10月26日に行われたオランダ首相ヤン・ペーター・バルケネンデとの会談では、「私はクジラ肉は大嫌いだ」と明言。しかし日本の調査捕鯨に対する環境団体の妨害行為を批判し、捕鯨反対国に対し、妨害活動を行っている活動家について対処するよう要請した。4月24日の民主党本部での記者会見では改めて「愛のテーマだ 地方での参政権は付与されてしかるべきではないか」と述べている。自身の秘書から国会議員になった者は山花郁夫、尾立源幸、(鳩山と86年初当選同期で同じ理系出身で親交深く松下政経塾1期生の宮沢派、加藤・谷垣系逢沢一郎秘書経て28歳の誕生日の直後に97年都議選で旧民主党新人で生活者ネットの支援受けたが江戸川区で落選した)初鹿明博がいる。2009年9月14日、イ・ソジンが、総理就任を2日後に控えた鳩山由紀夫民主党代表の東京事務所を表敬訪問。幸夫人も同席。イが鳩山に、韓国の与党ハンナラ党の鄭夢準代表からの祝意と「是非近いうちに訪韓されることを期待する」とのメッセージを伝えた。同年11月27日、イが幸夫人の個人事務所を訪問。イの母親が漬けた白菜キムチと韓国人画家の絵、韓国製薬メーカーの健康食品のプレゼントを受けた。翌日、イ・ソジンが宿泊するホテルを鳩山夫妻が訪問した。2010年1月8日、イ・ソジンと夫妻で会食した。また鳩山の地元・北海道9区の道議、市議、町議ら42人が、鳩山が代表を務める「民主党北海道9区総支部」に対して、毎年12月25日のクリスマスに、数十万円、5年間で1,650万円の献金を行っていた 特に、2005年のクリスマスの献金に関して、当日は日曜日であり、一般銀行の多くが振り込みはできないはずだが、例年通り、巨額の献金が計上されていた これに関して、「地方議員が国会議員に献金するなんて聞いたことない ましてや政界有数のお金持ちに上納する必要なんてあるのか」「クリスマスの日曜日に1人1人から集金して回ったのか」と疑問が呈された 9区総支部の会計責任者は「毎月受け取った寄付金は年末に一括計上している」としたが、他の町議などから、「総支部には年1回一定額を寄付している 党費は別に払っている」、「支部から送られてきた振込用紙に金額を記入し、前期、後期に分けて振り込んでいる」と異なる説明がなされる一方、複数の道議や市議が、「鳩山代表が各市町村議員に渡して払わせているという一部報道は事実に反する」と否定。また、同支部の政治資金収支報告書には会計責任者の現職道議の記載がないなど不透明な部分も明らかになった。岡田克也民主党幹事長は「記者会見すら拒否している人がほとんどの自民党が、説明責任が足りないといって騒ぎ立てている」と自民党を批判し、鳩山の対応を「自民党にも様々な疑惑があるが、自ら非を認めて謝罪をしたのは鳩山氏だけだ」と評価し当初は説明責任を果たしたとした しかし、読売新聞の世論調査で「鳩山氏が説明責任を果たしていない」が約8割を占めたことを受け、「与党が攻め立てているので、国民が『十分説明を果たしていない』と考えたのではないか 我々も、もっと伝える努力をしなければならない」と述べた 小沢鋭仁民主党国民運動委員長は「(献金の原資が)鳩山さん個人の金であることは間違いない 脱税の疑いなどはまずない ただ、監督責任はあると思っている」と述べ、複数の道議や市議が主張した「鳩山代表が各市町村議員に渡して払わせているという一部報道は事実に反する」との発言を否定 なお鳩山は過去に、「資金管理団体、政党支部の代表者は政治家本人 事務的なミスではない」との発言していた。2010年1月15日に小沢一郎の資金管理団体「陸山会」土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で元秘書石川知裕民主党衆議院議員ら3名が逮捕された 翌16日、鳩山は記者会見で小沢に対し「(検察と)どうぞ戦ってください」と答え、野党やマスコミから批判された 一方で、ジャーナリストの高野孟や田原総一朗、衆議院議員の鈴木宗男は鳩山を擁護した 翌17日に鳩山は「検察を批判するとか、捜査に予断を与えるものでは一切ない」と釈明し、発言は「不適切だと思っていない」と明言した。同年2月12日の衆議院予算委員会において与謝野馨は、母親からの資金提供等は政治資金規正法違反でありうると糾弾した。2010年3月29日の勝場啓二被告の初公判で、被告が起訴事実を認め禁固2年を求刑されたことについて鳩山は「勝場君は私のためを思って働いてくれて、このようなことを犯してしまった 私という政治家がいなければ、こういう罪を犯さなくて済んだ」と語った。その上で、首相の責務を全うする考えを強調した。一郎が居館として建てた洋館鳩山会館(文京区音羽)では当時多くの政治家が訪れ、戦後政治の画期となった自由党(現:自由民主党)の創設や日ソ国交回復の下準備が行われた。現在は、記念館として一般に公開されている。