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
ただし、ジャニーズ事務所側が田原の独立を快く思わなかったことは事実とされ、田原が事務所から独立する前年の1993年には、それまで毎年行われていた田原のコンサートツアーが全面的に中止された。また、田原本人も前述の『週刊女性』のインタビューにおいて、「ジャニーズにいた方が安泰だったとは思います 事務所を離れてからは、テレビ局のプロデューサーとかがビビって“(ジャニーズ事務所から圧力をかけられているため)田原俊彦とジャニーズのタレントを一緒の番組には出せない”なんてことが起きました わざわざ去った人に協力する必要はない ジャニーズ帝国というのは、外に出て行く人間に対しては絶対的にNOなんですよ」と事務所の内情を告白している。1994年2月、ジャニーズ事務所から独立する直前に長女が誕生した際の記者会見で、「何事も隠密にやりたかったけど、僕ぐらいビッグになってしまうとそうはいきません」などと語った、いわゆる“ビッグ発言”がマスコミの物議を醸す会見に出席し、取材していた芸能リポーターの城下尊之によると、田原の発言は十分冗談として受け取れる内容であったが、発言を真に受けてしまった一部の記者が「その発言はどういうことか」と問い詰めたため、田原が冗談ではなく単に天狗になってそのような発言をしたと視聴者の目に映ってしまったのだという(2009年5月28日放送回『情報ライブ ミヤネ屋』より) この発言が響いたためか、翌1995年度には「an・an」の嫌いな男ランキング1位となり、メディアへの露出が急に減ってしまった この「僕ぐらいビッグに・・・」発言は、発言当時のみならず田原の独立後も各マスコミから「生意気」などと激しく叩かれた。このようなマスコミの攻撃に対し、ジャニーズ事務所側が田原を擁護する動きは一切なかった。 その後は目立った活躍の場を与えられる機会も少なく、複数の事務所を転々とするも、古くからのファン達に支えられて地道に歌手活動を続け、現在も毎年新曲を発表し、ライブやファンイベント、ディナーショーなどを確実に行っている。なお、田原本人は、自身がジャニーズへの入門時から練習生たちの中でも特に社長のジャニーから厚遇されていた思い出を語り、「俺は自分では一番ジャニーズらしいタレントだと思ってた ジャニー喜多川が一番作りたかったのは田原俊彦だったろうって自負があるから今も頑張れる そういう意味では今でもジャニーさんには感謝の気持ちしかない」と、ジャニーへの変わらない敬意を示している。