Images of 膳所城
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武田の関東攻めは様々なドラマを生みました。
また、戦いを通して幾多の城が消えていきました。
素肌攻めなる言葉が残る膳城はその中の一つ。
落城は1580年。
武田勝頼の時代。
勝頼が巡察慰撫のため、付近を通過した時、宴会中で酒に酔った膳城衆が勝頼軍を襲撃。
勝頼軍の逆劇を受け、膳城は落城。
宴会中で武装しておらず、非武装のまま戦闘に突入したことが「素肌(非武装)」攻めの言葉の由来とか。
支配者への反発があるのは理解はできる。
しかし、強者になびいたのは生き残りのためであったはず。
酒に酔って見境なしに強者に襲いかかり、あげく、逆襲されて全滅。
愚かしく、情けない話。
しかし、群馬人の気質を示しているとも言える象徴的な話であるとも感じます。
県外出身で群馬に住んでいるが、理知より感情を優先する人が多い。
もちろん、まともな人も多いが、極端な人が多いとも感じます。
その気質は戦国時代にはすでに育まれていたのでしょうね。
膳城は上毛電鉄膳駅から徒歩で行くことができる距離にあります。
住宅地に囲まれているため、往時の威容を全て観ることは叶いません。(西隣は養鶏場)
ただ、何度も落城しているのは見て納得。
なにせ、周囲はなだらかな丘陵地帯で、小高い丘に城を置いたとしても、多少の掘割だけでは守るのは限界があります。
ちなみに、さほど期待はしていなかったけど、掘割の遺構は意外と残っており、見応えはありました。
掘割は戦国期のものと比べて浅く、室町時代から改修はされてない城の様相を示していました。
これでは戦国時代は越せなかったのは納得。
北隣に郷土資料館があるが、膳城の資料はほとんどありませんでした。
なんのための郷土資料館なのか、疑問。
まぁ、街づくりが破綻している前橋らしいと言えばらしいけど。