Available on Google PlayApp Store
ゴルフ友達がボランテァしている陽松庵を訪ね、折角の機会なので近郊の社寺も探訪してきました。 ⇒陽松庵⇒慈恩寺⇒五月山⇒伊居太神社⇒大広寺⇒一条院⇒五社神社⇒仏日寺⇒八坂神社⇒八坂神社 1579年(天正7)織田 信長の伊丹城主・荒木 村重討伐の際、兵火にかかり社殿や古記録を消失したので神社の由来など、詳しい事がわかっていません。一説では、「牛頭(ごず)天王素戔鳴尊神社」と称し、神田地域の産土神として「神の宮」と呼ばれて信仰されていましたが、後の978年(天元元)には円融天皇も祀ったものとなったということです。「八坂神社」という統一的な名前になるのは、1878年(明治11)の王政一新の時からで、それまでは「素戔鳴尊神社」などと呼んだりして定まりませんでした。いずれにしても、かなり古くにその起源を遡らなくてはならないようです。 戦国時代の荒木村重謀反の時には、この地域は池田城とも関係する「神田館」もあったことから社殿など、ことごとく消失します。しかしその後、1610年(慶長10)に旧領主である摂津池田氏の末裔、池田備後守光重(みつしげ)が、嫡子(第二子:他紋丸)の成人祝いとして本殿を再建し寄進します。(光重は豊臣 秀頼に使え、最後の池田城主?)桃山時代の建築様式の特徴をよく表している古建造物として、1971年(昭和46)に国の重要文化財に指定されました。 また、毎年10月22日には、「神田祭」という秋祭りが行われます。額灯と幟の宮入りが行われ、氏子達が伊勢音頭を歌いながら幟は午後2時頃に、額灯は夕刻にそれぞれ宮入りするという静かな祭りです。 また、この時、元禄(宝暦?)年間に制作された「木地透彫着色二十四孝透塀欄間」も公開されます。これは、古来中国の孝子24人の親孝行の様子を桧の版木に透かし彫りにして彩色してあるものです。池田市重要文化財に指定されています。八坂神社は早苗の森の中にあって普段は静かな佇まいの神社です。広い境内を散歩する人あり、ベンチに腰掛けておしゃべりを楽しむ人ありと憩いの場になっています。

Share