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1994年1月に「ますだおかだ」として、第15回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、同年2月に第24回NHK上方漫才コンテスト最優秀新人賞を受賞するなど結成1年足らずで数々の漫才の賞を総なめしていく 当時千原兄弟、ジャリズムなどのコントが主流の中で、無名のコンビが正統派の漫才でいきなり賞を受賞したことで一躍注目される事となる 同年8月には「ますだおかだ」として、GAHAHAキング 爆笑王決定戦(テレビ朝日)で10週勝ち抜き、第3代チャンピオンの座に輝く グランドチャンピオン大会では「ますだおかだ」として爆笑問題と同点優勝し、「(関)西の爆笑問題」と呼ばれたことがある。1996年、「ますだおかだ」として、「ボキャブラブーム」や「吉本2丁目芸人ブーム」に挟まれ、東京移転や吉本興業移籍さえ真剣に考え始めた頃、「ますだおかだ」として、ちょうど同時期にスタートした『爆笑オンエアバトル』(NHK)に参戦 「ますだおかだ」として、正統派漫才を武器に連勝を重ねていき、様々な記録を残すなど活躍した(後述)。2003年に同番組を卒業。2002年、「ますだおかだ」として、本格的に東京進出 「ますだおかだ」として、同年12月に開催された「M-1グランプリ2002」では、ラストイヤーとなる結成10年目で優勝を果たした(後述)。優勝候補の一角として決勝進出を果たす。なお、松竹芸能からはアメリカザリガニと共に初の決勝進出を果たした。ファーストラウンドでは特別審査員の合計得点では中川家に次ぐ575点を記録したものの、一般審査員(札幌・大阪・福岡にある吉本興業の劇場に集まった各100人の一般客)の得点が伸び悩み(195点を記録)、総合得点は770点で最終的な順位は4位に終わり、最終決戦進出は果たせなかった。この年に行われた一般審査員による採点は、一部出場コンビ に対して大阪会場の得票が低いなど公平性に欠ける部分があり、ますだおかだもその影響を強く受けたコンビとなってしまった。以上の事もあり、この一般審査員による採点は第1回大会を最後に廃止されている。2年連続で決勝進出を果たす。昨年同様、これまでの活躍や前評判から「本命」とも言われ期待が掛かる中での参戦となった また、結成10年目でラストイヤーであったため、今大会が最後のチャンスだった ファーストラウンドでは612点を記録して2位通過(1位通過は621点を記録したフットボールアワー)を果たし初の最終決戦に進出 この時、増田は漫才冒頭の自己紹介の際に皮肉を込めて「吉本興業のますだおかだです!」と叫んでいた。最終決戦では審査員から5票を獲得し優勝を果たす。ファーストラウンドで2位通過して優勝したのはますだおかだが史上初である。また、昨年の中川家に続いて2年連続でラストイヤーでの優勝となった。因みに、この年に最終決戦に進出したフットボールアワーと笑い飯も後に同大会で優勝を果たしている。この時審査員を務めていた立川談志は、ますだおかだに優勝賞金1,000万円を贈呈するにあたって「最後に出てきた時、俺は勝ったと思ったはずですよ そう思わなきゃ芸人じゃない したたかだよ 見事だよ 褒めてやる」と最大限の賛辞を送っていた。globeのKEIKOがますだおかだのファンで交友関係があり、小室哲哉との結婚披露宴には黒田有(メッセンジャー)と共に招待された。吉本興業では大阪NSC11期生(中川家、陣内智則、ケンドーコバヤシなど)が同期にあたる。2人とも芸能界に入ったのが20代中盤になってからのため、年下の先輩が多い。同じ事務所で先輩のよゐこ、TKOは年下になる。同期のオセロも年下である。(なお、オセロとよゐことTKOの3組は同じ学年である)。他事務所でもナインティナインやネプチューンなどは先輩にあたる。