Images of 愛と戦いの日々 ロマノフ王朝 大帝ピョートルの生涯
10月4日
関西国際空港10時10分集合。
12時10分離陸延べ12日間の旅への先ずは11時間のフライトの出発。
飛行機はエアロフロート・ロシア航空。
添乗員からなるべく早く搭乗手続きをし(ロシアは個人ビザ)、その際「ペアシートで」と申し出ておくこととアドバイスを受けていたのでそれに従い手続きをした、その効果あってか乗ってみるとビジネスクラスのスペースになっていた「グー」。
ただし、機内サービスはまだ共産時代の癖が残っていて過去に利用した航空会社機に比べ最悪。
最初にオツマミと飲み物が出るまでは定例通りだったが(ビールを頼む)、機内食時には飲み物としてビール1缶は出たがその後の追加には応じてもらえず。
ビジネスクラスとはいえ膝に負担がかかるので最後部のスタッフルーム(後部仕込場)の前で立って屈伸運動などして他社の日本人客と旅行ルート・過去の旅行の行き先感想などを話していた。
その内の1人と客室乗務員女史(30代後半?)と英語で話して、缶ビールをサービスして貰ったりして写真を撮ろうと誘うと「メークする」と言うので「ノーメークでもベリービューティフル」と私が言ったら「モアビューティフル」といなされ化粧をし、制服に着替えアクセサリーをつけ記念写真の仲間に加わった、やはりオンナ。
そうこうするうちにロシア・サンクトペテルブルグ空港に到着。
最低8最高13℃の日本から3℃〜8℃の世界に踏み込んだのでふるえ上がる。
(ネットでモスクワの天気予報を入手していたので準備は万端)
ホテルに入館、$100をルーブルに両替。
10月5日
サンクトペテルブルグ市内観光
フィンランド湾に流入するネヴァ川河口に位置するこの町は、18世紀初頭ピョートル大帝によって建都され、今年がちょうど300年あたりその祭典が催されたのである。
42の島に浮かぶ都市を「ヨーロッパに開く窓」として、大きく変貌しつつあるとのこと。
ホテルを引き払い、終日バスで市内観光、曇り時々雨。
詳細は添乗員がメモってくれた別紙ご参照。(以下同じ)
午後は世界三大美術館のひとつ【エルミタージュ美術館】を観賞、僅か3時間半の行程で、何点展示されているか分からないが280万点収蔵されている絵画・彫刻・工芸品の内の絵画の一部を靴カバーを付け走りぬけるように見て回った。
ロシア人ガイド(女子)がまだ4カ月とかで慣れていなく、殆ど解説もないままに見たので何がなんだか分からず、帰ってからのBSハイビジョンスペシャルで鑑賞した次第である、その説明ではすべて見るには10年かかるだろうとのことであった。
ロシアのミネラルウォーターはガス(炭酸)入りが殆どだと聞いていたので、観光後船に行く途中ガイド・ドライバーに頼みスーパーに寄り道してもらい、水(1.5L)8本、
ウオッカ(500cc)6本を買い船に積み込む。
夕食時レストランでは高いのでビール(小瓶)1本とワイン2グラス(いずれも2$)で終わらせ、食後に日本から持ち込んでいた日本酒パックとウオッカのお湯割をこれも荷物で持ち込んだおかきを食べながら流れ行く外の景色を見ながら楽しんだのである。
船室はちょうど安いビジネスホテルの感じで、2ベッドとテーブルにソファー(エキストラベッドになる)とテーブルに椅子、トイレ・シャワー。
10月6日
サンクトペテルブルグ郊外(皇帝の村)観光
今日からは朝のバッゲージダウンがないので気楽に着替え、お出かけができる。
また、枕チップもポーターチップも下船時にまとめて払えばよいので気を使わなくてもよい。
午前中は豪華絢爛たる「エカテリーナ宮殿」へ、そこではかってナチスによって荒らされ持ち去られたが建都300年を記念して修復された「琥珀の間」を堪能することが出来た。
但し、行く途中でバスが障害物に乗り上げバウンドし胸部打撲を受けた仲間を病院に運んだため到着が遅れ、他の部屋は素通りに近い状態での観光だったのが残念であった。
午後はかの怪僧ラスプーチンが暗殺された名門貴族の邸宅「ユスポフ宮殿」を観光。
帰船後船は港の人たちに送られ静かに出港、長旅につく。
夕食時は船長主催の歓迎カクテルパーティー。
夕食後常設バンドによる「ロシア民謡の夕べ」があり1930年代の〔歌声喫茶〕での歌の数々を原語の生演奏で聞き彷彿とさせられた。